人生の半分以上はとらわれの身のシャビ・シャーさん。 「不信からは平和は生まれない」(ニューデリー市) |
「アナンタナーグの実家まで来てくれ、ありがとう。あなたがデ リーにいるのを知人から教えてもらい、ぜひ会いたいと思いやって 来た」。その知人の家で会ったシャーさんは、ソフトな口調で言っ た。白い民族服にショールを身にまとった表情は、穏やかである。
「原爆被害を受けた広島や長崎市民、そして日本のみなさんにカ シミールの人々の五十年間に及ぶ苦しみを伝えていただきたい。そ して問題解決のために力を貸してもらいたい」
シャーさんは切々と訴えた。ジャムー・カシミール州議会選挙が 終わり、新議会が発足して間もない十月半ば、一カ月ぶりに釈放さ れた。選挙では、インド政府よりのナショナル会議が八十七議席 中、五十七議席を占め、圧勝した。
「インド政府も、中央の新聞各紙も、ジャムー・カシミールが正 常化への一歩を踏み出したとの印象をつくり出している。でも、軍 と武装ゲリラの戦いは続き、住民は抑圧生活を強いられている。事 態は何も変わっていない」
シャーさんは、釈放後、州内各地で独自の集会を開き、宗派の違 いを超えた平和共存の大切さを訴えている。カシミール盆地から避 難し、ジャムーに移り住んだヒンズー教徒の難民キャンプも訪れ、 彼らが置かれた状況に胸を痛める。
「早くカシミール盆地に帰って来てほしい。でも、殺し合いが続 いている今の状況でそれを期待するのは無理。その間は、国際機関 で難民認定をして、ぜひ国際的な援助をしてもらいたい」と願う。
シャーさんは、こうも言った。ニューデリーやムンバイ(旧ボン ベイ)、カルカッタなどインドの大都市には、家のない貧しい人々 があふれている。パキスタンも状況はほぼ同じ。深刻な貧困問題を 互いに抱えながら、なぜ膨大な軍事費をカシミールに投入するの か。
「カシミールの住民は、それによっていつまでも苦しみ、貧困や 教育の遅れなど両国の社会問題の解決は先延ばしされるばかり。こ れで本当に政治と言えるのだろうか…」
インド、パキスタンが一九四七年の分離独立後、半世紀にわたり 最も鋭く対立して来たのが、ジャムー・カシミールの領土問題。互 いに核兵器まで開発し、対峙(じ)し合う現実に、暫定国境(支配 ライン)での紛争が高じれば、核戦争に至らないとの保障はどこに もない、という。
「インドとパキスタン政府、そしてカシミールの代表が同じテー ブルに着き、話し合うことが、根本的解決への第一歩」と、シャー さんは強調する。カシミール問題が解決される時、印パ関係のみな らず、南アジア全体に安定をもたらすことができる、とも。
指摘の通りかもしれない。しかし、インド政府にはまだその用意 ができていないのではないか。彼にその点を聞いた。
「残念ながらそうだ。でも、だからこそ日本政府から働き掛けを してほしい。インドといい関係にあるばかりか、最大の援助国なの だから…」
二十二年間の獄中生活を送り、「カシミールの人々と結婚してし まった」と目を細めるシャーさん。その彼が、別れ際に言った。 「解決に時間がかかっても、希望は失わない」と。
(田城 明編集委員)