メーン道路に面した歩道で野菜を売るラダックの
女性たち。同じ州内でもカシミールとは異質の世界だ (レー市) |
そんなラダック人が、カシミールのイスラム教徒と同じように、 州の自治権や独立を求めているのだろうか。パキスタンや中国との 国境はどうなっているのか。
あれこれ思いを巡らしながら乗り込んだ機は、飛び立って五分も しないうちに、雪を頂いた急しゅんな山々の上空へ。わずか三十分 で四百キロをカバーし、山中に開けた砂漠のレー空港に着いた。 標高約三千五百メートル。小さな空港ロビーには、銃を構えた兵士があ ちこちに立っている。でも、スリナガル空港のような緊張感はな い。
車で十五分ほどの市内中心部のホテルに荷を解き、人口約一万五 千人の小さな町を歩いた。顔立ちが日本人と似ているというだけ で、行き交う人々にさえ親しみを覚えてしまう。歩道にできた野菜 市場。近郊から持ち寄った野菜を売るのは、たくましい女性たち だ。
活気に満ちた表通りから、古い建物が残る裏通りに足を踏み入れ ると、まるで千年の昔に帰ったような錯覚に陥る。インダス川上流 に沿い、シルクロードの町としてかつて栄えたレーは、今も当時の 面影をそのままに残していた。
希薄な空気に軽い頭痛を覚えながら、町の一角にある「州立ジャ ムー・カシミール芸術・文化・言語アカデミー」のオフィスにナワ ング・シャスポーさん(45)を訪ねた。ここのディレクターとして、 二十人のスタッフを率いる。
「ラダックはカシミール盆地とは随分違うでしょう」。スリナガ ルからあらかじめ連絡していたシャスポーさんは、わずか三十分の 飛行で別世界に舞い込んだこちらの驚きを見透かすように言った。 強い太陽光線を浴びて日焼けした顔。とつとつと語るその口調に、 誠実さがにじむ。
「ラダックはインドの過疎地。州の名前にすら出て来ないよう に、ずっと無視され続けて来た」。仏教徒の彼は、そんな忘れられ た地方の歴史や民話、ラダック言語の復権を目指し、仲間とともに 雑誌の発行など文化活動に力を入れる。
パキスタンとの暫定国境(支配ライン)に接し、六千―八千メートル級 のカラコラム山系が連なる北部。東部の無人地帯は一九六二年の中 印戦争で勝利した中国が、今もその一部を支配する。
「レー周辺はカシミール盆地と違って、武装ゲリラの活動がない ので治安はいいですよ。中国国境も今は落ち着いている。もっと も、北部のシアチン氷河近くや、カーギル付近では、国境を挟んで インドとパキスタンの正規軍同士の戦闘が続いているがね」
そう言うシャスポーさんの声に、不安や切迫感はあまりない。パ キスタン相手なら、強力なインド軍が負けるはずがない、との軍へ の強い信頼感があるからだ。
六二年の中印戦争が起きるまでは、「ポニー道」しかなかった、 という。戦争後、インド軍部隊によって道が造られ、ラダック地方 はようやく外の世界とつながった。レー空港ができたのも、むろん 戦後だ。
「カシミールのイスラム教徒には、インドからの独立を求める人 たちもいるけど、ラダックの仏教徒はみんな反対している。ブッダ の生誕地に住む私たちは、インド人ですよ」
同じ州にありながら、こうも価値観や見方が違うものだろうか。 多様なインドの現実を、あらためて思った。