「安全」求め大量流出/少数ヒンズー


インド治安部隊と反政府ゲリラの戦闘で焼け落ちたビル。戦いの つめ跡は、市内のいたる所にある
(スリナガル市)
 焼けて半分崩れ落ちたビルや民家、だれも住まなくなった空き家 …。スリナガルの街中を歩くと、こんな光景に多く出くわす。イン ド軍とイスラム教徒の反政府武装ゲリラの交戦跡であり、生命に恐 怖を覚えたヒンズー教徒の他地域への脱出跡である。

 日中こんな跡地を見て回った夕方、取材中に知り合ったヒンズー 教徒の家に招かれ、話を聞く機会を得た。

 「スリナガル市内に住むヒンズー教徒は、今では人口の一%、一 万人ほどでしょう」。長身でかっぷくのいいシャルマさん(54)=仮 名=が言った。十数万人ものヒンズー教徒が、治安が悪化した一九 八九年末以降、スリナガルをはじめカシミール盆地を後にした。

 「実際に被害を受けた人も少なくない。でも、武装ゲリラに殺さ れるとのうわさが実態以上に広がり、恐怖心から大量流出につなが った」。脱出したヒンズー教徒の多くは、ジャムー・カシミール州 南部のジャムー地区や、ニューデリーなどに移り、難民として生活 している、という。

 「なぜ、私たち家族がここを離れなかったのかって? そりゃこ の地に代々三百年も住み、カシミールの自然が好きだからだよ。そ れにイスラム教徒の友達も多くいるし…」

 カシミールのヒンズー教徒には、インド社会に今なお根強く残る カースト制度最高位のブラーメン(司祭者層)に属する人が多い。 インド初代首相で、五〇―六〇年代初頭に非同盟諸国のリーダーと して核兵器禁止を訴え、広島市民を勇気づけた故ジャワハラル・ネ ール氏もカシミールの出身である。

 高い教育を受けた彼らは、インド国内や欧米でもさまざまな分野 で活躍している。

 地方公務員のシャルマさんもそんなブラーメンの一人。弟は米国 へ移住して医学博士となり、子どもたち三人も国内の他都市で医学 やコンピューターを学ぶ。高い塀に囲まれた大きな家に住む家族 は、今ではシャルマさん夫妻のみ。

 それでいい、と夫妻は思う。「でも、故郷を離れるほどに故郷を 一層思う、って言うでしょう。紛争地帯となっているだけに、外に 住むヒンズー教徒は余計にカシミールのことが気に掛かるようです よ」。日本茶に似たカシミール茶を入れながら、シャルマ夫人(51) が言った。

 「カシミールの武装ゲリラを支援したり、イスラム原理主義の外 国人部隊を送り込むパキスタンはむろん許せない」。匿名であるこ とを念押ししながら、シャルマさんは続けた。「でも、それ以上に カシミール住民に自治権を与えず、武力だけで抑え込もうとしたイ ンド政府が間違っている」

 州議会には政府の息がかかった人々を立て、行政は中央の役人が 牛耳る。州に多くの助成金を投入しても、道路などの基盤整備や産 業促進に至らず、腐敗した政治家や役人のポケットに入っている、 と非難する。

 「中央とコネのある上司に嫌われると昇進などは望めない。私の ように腐敗していない役人は憎まれる、それが現実です」

 長年にわたる中央への依存体質が経済の自立を阻み、教師の給料 すら援助なしには払えない状態、という。

 シャルマさんは、現在インド側にあるカシミールは、インド内に とどまるべきだと考えている。しかし、銃と向き合って生きる人々 の心は、中央との距離感を深めるばかり。

 「政府がもっと住民に近づき、生活向上のための施策を施さなけ れば解決はない」とシャルマさん。

 夫妻は、カシミール盆地に平和が訪れ、故郷を離れたヒンズー教 徒が戻ってくる日々を夢見る。


Menu