インド政府側の武装グループとして活躍するモハメット・
アブドラさん(中央)ら、かつてのムジャヒディン。
銃のさばきは手慣れている。 (クプワラ市) |
「あなたたちはだれか」。クプワラ市の政党事務所二階入り口 に、見張り役に代わって現れた青年は、詰問調で言った。突き刺す ような鋭いまなざしに圧倒されながら、自己紹介した。
仲間と相談後、ようやく六畳ほどの部屋に通された。簡易ベッ ド、数枚の布団、テレビ、古いソファ。あるのはそれだけ。奥にも う一つ部屋があった。
「ナショナル会議の事務所だと聞いてきたが…」
「そうだ、われわれがムジャヒディン(イスラム教徒の聖戦戦士
の意)から事務所を守っている」
モハメッド・アブドラと名乗る先程の青年が言った。汚れた髪と 服、繕いをしたスニーカー。かつてムジャヒディンのゲリラとして インド軍と戦っていた彼は、今、政府側に寝返り、政府よりのナシ ョナル会議の事務所などを守っていた。
十八歳。地元のクプワラ地区の農家に生まれた。十四歳の時、ジ ャムー・カシミール州のインドからの独立を求める武装グループに 誘われ、加わった。「仕事がなかったし、何となくゲリラにあこが れていた」
すぐにパキスタン北西部、ペシャワール市周辺にある軍事訓練所 に送られ、ゲリラ戦士としてのトレーニングを受けた。学校教育を 一度も受けていないアブドラさんにとっての初めての集団生活。
「厳しかった。でも、そこであらゆる兵器の使い方を身につけた」
誇らしげに言った彼は、隣の部屋から機関銃を持ち出して来た。 窓から表通りを見張っていたほかの者が、拳銃や軽機関銃、さらに 大きな武器、そして手りゅう弾までも取り出した。一体、この部屋 にどれだけの武器があるのだろうか…。
アブドラさんは、一通り違うタイプの武器を示すと、さらに自ら の体験を語った。
「空手も習ったよ。ジャングルで敵と遭い、互いに弾を使い果た した後、頼れるのは自分の力だけ。だから空手の訓練も大事なん だ」。毎朝、板を割るなど今も訓練を欠かさないという彼の手は、 石のように硬かった。
ヘビの料理の仕方も身につけた、という。ジャングルで食料が途 絶えた時、ヘビは貴重な食料源。「湯がいて食べるのが一番。特別 なエネルギーが与えられる」
半年近く訓練を受けた彼は、印パ暫定国境(支配ライン)を再び 越え、仲間の元に戻った。それから二年余、ジャングルを拠点に動 きながら、時々村に下りインド兵の襲撃に加わったり、村人から食 料を調達した。
「インド兵を殺したこともあるのですか」。アブドラさんは、そ の質問には答えず、首からつるしたインド政府発行の身分証明書を 胸元から取り出した。
今は政府側に立ち、インド軍に協力して治安を維持する立場にあ る。なのに、正直に質問に答えられますか。手にした小さな身分証 明書が、そう語っていた。
彼がムジャヒディンから、政府側に「転向」したのは一年余り 前。どんなに戦っても、インド軍を撤退させることはできない。そ れに、自分が武装ゲリラに加わることで、軍に取り調べられる家族 が苦しんでいるのを知ったから、という。
インド政府は、一九九四年ごろから出始めた投降者を組織し、武 器を与え、逆にゲリラ狩りに利用する。各地から寄せ集めの兵士で は、ローカル言語が解せず、地理も不案内だからだ。
反政府ゲリラに「深く食い込むため」に雇われた若者たち。だ が、政府との正式な雇用関係があるわけではない。彼らの身分は、 今も不安定である。
「でも、食うのに困らないから…」。アブドラさんは、屈託なく 言った。