山道 兵士の姿目立つ/クプワラ市へ


交互通行の仮橋のため、長い列をつくって通行を待つ利用者。 元の橋は反政府武装ゲリラに破壊された
(スリナガルからクプワラへの道中)

 スリナガルの湖畔のホテルから街中のホテルに移ってからは、毎 朝五時に目覚める。ホテルそばのイスラム教のモスクから、ラウド スピーカーを使っての朝の祈りを呼び掛けるアナウンスメント。

 安眠を妨げられるお知らせも、早朝取材に出かける今朝は、目覚 し時計の役割を果たしてくれた。七時過ぎホテルを出、スリナガル から北西へ約九十キロの、パキスタンとの暫定国境(支配ライン)に 近いクプワラ市へ向かった。

 街を抜けしばらく走ると、道の両側にポプラ並木が続く。その向 こうに収穫期を迎えた稲田が広がる。標高三千メートル級の山々に囲まれ たカシミール盆地は広大だ。

 小さな町にさしかかる。ひどい渋滞である。武装ゲリラに橋を壊 され、鉄製の仮橋を架けているが、狭いための交互通行。トラッ ク、乗用車、屋根上まで人が乗ったバス、人や荷物を積んだ馬車 …。人々は忍耐強く待っている。

 車から降り、歩いた。橋のたもとには、数人の兵士が銃を構えて いる。その一人に通訳を介して声を掛けた。肌の黒い兵士は、イン ド最南部のケララ州からやって来てまだ二カ月。十八歳の顔は、あ どけない。

 「ここでの生活はどうですか?」「治安はいいですか?」。周り を気にしてか、少年兵は白い歯を見せ、ほほ笑み返すばかり。

 すぐそばにある土で固めた兵舎内をのぞいた。二十五平方メートルほど の、薄暗い中に十人余がいる。下着姿の兵士は、急いで軍服を身に まとった。中央の狭い通路を挟み、粗末な二段ベッドが並ぶ。制服 がつるされ、奥には炊事道具が見える。

 「日本の広島からやって来ました」。普段、地元の人たちと言葉 を交わすことのない兵士たちは、思わぬ「珍客」にざわめいた。

 「広島? 原爆の落ちたあの広島かね…」。指揮官らしい兵士が 言った。うなずくと、「今、街はどうなっているか、人は住めるの か」と、問い掛けて来た。

 質問に答えながら、広島の名前だけは、こんな辺境でさえ知られ ているのか、とあらためて思った。

 チャイ(紅茶)を勧めるのを断り、外に出た。兵士たちはこの狭 い兵舎で寝起きし、二十四時間、交代で見張りに立つ。それだけで も過酷な任務である。

 橋を渡って再び車に乗り込み、さらに奥へと向かった。クプワラ まで後二十キロの標識を通過し、しばらく走ると、道路は極端に悪く なった。山間部へ入るに従い、兵士の数が目立つようになる。悪路 に揺られながら、出発から三時間半後にようやくたどりついた。

 標高二千五百メートル、人口六万人。商店街の集まる中心部を除けば、 山あいでの稲作やリンゴ、クルミなどの果樹栽培が中心産業だ。ク プワラ地区の一方は、パキスタンとの暫定国境が続く。町から最も 近い北西の国境までは、二十五キロ余り。

 インドからの自治、独立を求めるイスラム教徒の武装ゲリラは、 一九八九年末から最近まで、この周辺の村々を支配するなど活動は 活発だ。

 防弾チョッキを身に着けた兵士が、数人ずつに分かれ百五十メートルほ どの商店街をパトロールしている。食堂で一息ついた後、店主に教 えらた政党事務所を訪ねた。

 メーン道路に面した、角の二階建ての木造家屋。裏に回ると、細 い階段の二階入り口に、銃を持った青年が外を見張っている。

 「政党事務所?…」。不安を覚えながら階段を上がり、革命家の 故チェ・ゲバラを若くしたような、ひげもじゃの青年に手を差し伸 べた。


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