道路中央にトラックを止め、警備にあたるインド治安部隊。
午後6時をすぎると、人通りが途絶える (スリナガル市) |
印パ暫定国境などカシミール盆地の治安状況や部隊について知る ため、スリナガル市の隣町にある国境警備隊(BSF)本部を訪 ね、幹部の一人、バーンさん(53)=仮名=と会った。
「日本人だというので会うことにした」。長い、見事な口ひげを たくわえた彼は、親しみを込めて言った。
プレハブ兵舎の一室。出されたコーヒーとビスケットを頂きなが ら、ひとしきり日本人に特別な感情を寄せる彼の話に聞き入った。
「第二次世界大戦で、父親が日本軍の捕虜になってね。その父か らいつも『日本人の勤勉さ、まじめさに見習え』と言われて育って 来たもんだよ」
七十五歳の父親は今も健在。一九四四年、インド北東部ナガラン ド州の州都コヒマで、電気技師として軍務についていた時、侵攻し て来た日本軍に捕まったという。「父親は今でも、敗北した日本軍 将校からもらった刀を大事にしている」
スリナガルまで来て、こんな逸話を聞こうとは思ってもいなかっ た。思い出話が尽きたころ、バーンさんへの質問を始めた。
「ジャムー・カシミール州に投入している正規軍や国境警備隊な ど準軍事要員は、合わせて六十万人になると言うのは本当ですか ?」
「いきなり軍事機密を聞き出そうというのかね。こちらがどんな 数字を上げてもデタラメなんだから言わないのが一番」
バーンさんは軽く質問をいなしながら、言葉を続けた。「反政府 ゲリラ活動など、カシミール盆地に現在のような問題を引き起こし たのはパキスタンだよ」
一九八九年、ゴルバチョフ政権下の旧ソ連軍がアフガニスタンか ら完全撤退したのを受け、イスラムの武装ゲリラをアフガンからカ シミールへ振り向けたのだ、という。それまでは、インドからの自 治、独立を求めるイスラム教徒の動きはあっても、平和的だった。
スリナガルなど都市部での武装ゲリラとの戦い。そればかりでな く、パキスタンとの暫定国境を挟んでの正規軍同士の小競り合い は、昼夜の別なく続いている、とも。「一日に数人亡くなっている が、国内のメディアは知らない。メディアに取り上げられると兵士 の士気にかかわるから…」
この日の英字紙に、スリナガルから東北へ約二百キロ離れたカーギ ル市付近の村の道路が、パキスタン軍の攻撃で破壊されたと出てい た。道路を寸断し、冬場、村々に食料が届かないようにするのが目 的、とあった。
バーンさんは、パキスタンや武装ゲリラを非難しながらも、ジャ ムー・カシミール問題は「銃では決して解決しない」と強調する。 武装ゲリラを銃で押さえ込むことはできても、カシミールの人々の 心を捕らえることはできない、と言うのだ。むろん、約九百万州住 民の七〇%は、イスラム教徒である。
「インド政府が話し合いによってどう問題を解決するか、すべて はそこにかかっている」
国境警備隊の幹部自身、カシミール住民が、これまでのインド政 府の政策によって深い心の傷を負っていることを認める。「われわ れにできることは、愛と同情をもって住民に接し、その傷を癒(い や)すように努めることだ」
ノーベル平和賞受賞者のマザー・テレサを一番尊敬しているとい うバーンさん。だが、インド各地からカシミール盆地に派遣された 兵士一人ひとりが、どこまで彼と同じ思いを共有しているのだろう か…。スリナガルの街中で見る限り、住民との溝は深い。