日本の屋形船に似たハウスボート。観光不振で、利用者はほとんどいない。 (スリナガル市) |
標高約千八百メートルに位置するスリナガルの朝はすがすがしい。ホテ ルの庭先で小鳥たちがさえずり、小舟が音もなく湖水を渡る。湖の 背後にそびえる険しい山々。「東洋のスイス」という観光キャッチ フレーズも、決して大げさではない。
だが、ジャムー・カシミール州の自治権やインドからの独立を求 める武装ゲリラの活動が激しくなった一九八九年末からは、訪れる 観光客とてほとんどない。
一夜を過ごしたかつての高級リゾートホテルも、大半は中央から 派遣された役人らが使用していた。あてがわれた「客室」は、傷み が激しく、シャワーの湯すら出なかった。
借り上げタクシーの運転手の紹介で、街中のこぢんまりとしたホ テルに移った。
「ホテルとして機能しているのはここだけですよ」。彼の言う通 り、他の多くのホテルはインド兵が占拠。唯一ここが選挙取材など で訪れたジャーナリストらでにぎわっていた。
新しい宿が決まると、自分の取材よりも、スリナガルへの機内で 一緒になった日本人女性、小山さん(26)=仮名=の安否が気になっ た。捜し出さないとどうも落ち着けない。スリナガル名物の湖に浮 かぶハウスボートに泊まると言っていた。が、その数、数百隻。彼 女から宿泊先のボート名を尋ねなかったのが悔やまれた。
警察官の付き添いでインド情報局を訪ねた。スリナガル到着時に 記入した外国人登録名簿が、ここに保管されているのだ。理由を説 明してそれを見せてもらう。市北部のナギン湖のハウスボートに滞 在していた。
「日本人女性が泊まっているはずですが…」
「ああ、いるよ。今、ツアーに出ているけどね」
サンダル履きの男が、係留されたボートから出て来て言った。二 十八歳の青年は、父親(55)と一緒に八隻のボートを所有し、ビジネ スを切り盛りしていた。
「信用が置けそうだ。でも、彼女の顔を見るまでは…」。待つこ とに決め、その間、ビジネスはどうかと親子に尋ねた。
「ご覧の通り、さっぱりだよ、壊れてきても修理する金もない 」。青年はそう言って、ペンキのはげた戸や屋根を指さした。白髪 の父親も語気荒く言葉を継いだ。「大事にしてきた金の装飾品やカ ーペットを売って食いつないでいる。早くカシミールに平和が戻ら ないと生きていけない」
八八年までは、国内外から年間七十万人以上の観光客が訪れてい た。だが、それ以後、観光産業は「死んでいる」と言う。
話し込んでいるうちに小山さんが帰って来た。こちらの顔を見る なり、目を潤ませて打ち明けた。「今日のツアーに百五十ドル(約一 万八千円)も取られたんです」。すでに彼女はニューデリーの旅行 代理店で、スリナガルへの二泊三日の旅のため高額を支払ってい た。
インドでは、例えば、タクシーを半日借り上げても二千ルピー(約七 千円)程度。それを考えれば、百五十ドルは余りにも高い。事情を知 った地元のガイドが掛け合ってくれ、百ドルを払い戻してもらった。 彼女をこの地へ送ったニューデリーの旅行代理店の経営者は、ボー ト所有者の身内だった。
「一人でもスリナガルへ観光客を送り込みたい」。必死の営業活 動のターゲットが、事情を知らぬ、無防備で懐豊かな日本人に向け られる。
彼らの台所事情を知れば、「悪徳業者」と簡単に決め付けること もできない。そんな複雑な思いを抱きながら、翌朝、旅の無事を祈 って、ニューデリーへ戻る彼女を見送った。