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投降後、傷ついた娘を抱き包む父。米軍にもらったあめを、娘の口に入れた=1944年8月1日(米国立公文書館蔵、沖縄県文化振興会史料編集室提供)
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北マリアナ諸島、テニアン。原爆を載せたエノラゲイが飛び立った南の島。戦前は日本の統治領で、一万五千人もの日本人が暮らしていた。第二次世界大戦の末期、南洋の島々は日本本土を守る「絶対国防圏」としての使命を負う。
広島に原爆が投下されるほぼ一年前、米軍の侵攻でテニアン島は陥落。多くの民間人も地上戦に巻き込まれ、犠牲になった。戦争で奪われた「普通の暮らし」が、この地にもあった。
「テニアン町スズラン通り」。島のメーンストリートを当時、こう呼んだ。庄原市総領町の大畦正喜さん(84)は、通り沿いで雑貨店を営んでいた。大きな志を抱き、十五歳で海を渡った。結婚し、子どもを授かった直後、島は戦場になった。
戦争に翻弄(ほんろう)された悲しみの島。日本に落とされた二発の原爆は、ここから運ばれた。その歴史を見つめる。かつての住人の記憶を頼りに。(木ノ元陽子)