■61年目の夏
原爆症認定を求める集団訴訟の広島地裁判決が八月四日に迫った。提訴から三年二カ月。司法の場に希望を託した原告たちは、六十一年目の夏、その判断を待つ。十人もの仲間を失いながらも被爆者が求め続ける「認定」の重みと、訴訟の争点を探った。
■広島地裁で4日に判決 原告41人、全国2例目
被爆者援護法に基づく原爆症認定の申請を却下したのは不当として、広島、山口両県などの被爆者四十一人が、国に処分取り消しと一人当たり三百万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が、八月四日に広島地裁で言い渡されることが二十五日、決まった。原爆症認定をめぐる集団訴訟の判決言い渡しは、五月の大阪地裁に続き二例目になる。
大阪地裁判決は現行の認定基準を「機械的に適用して判断することは相当でない」として原告九人全員が勝訴している。その後、原告、国ともに控訴した。同判決の内容を踏まえ、広島地裁が認定のあり方をどう判断するかが焦点となる。
訴えによると、六十二〜九十四歳の原告のうち三十九人は一九四五年八月六日、爆心地から〇・五〜四・一キロで被爆、ほかの二人は十九日までに救護などで爆心地近くに入り被爆した。その後、がんや白内障を患い、認定を申請したがいずれも国に却下された。原告は当初四十五人いたが、二十五日までに十人が死亡。取り下げもあり、現在は遺族が継承した分を含めて四十一人が争っている。
国は従来、爆心地からの距離で被曝(ひばく)線量を推定する方式「DS86」を基準に認定の可否を審査。二〇〇一年から同方式に加え、当時の年齢や性別も考慮して病気の発生確率を出す方式を導入した。厚生労働省によると、今年三月末現在、同基準による認定被爆者は二千二百八十人で、約二十六万人いる全被爆者の1%にも満たない。
これに対し、大阪地裁判決は、国の認定基準を「一つの考慮要素にすぎない」と位置付け、「入市・遠距離被爆者を含めて、被爆状況や被爆後の行動経過などを総合的に考慮して判断すべき」などと指摘している。
集団訴訟は〇三年以降、大阪を含め全国の十四地裁で提訴され、原告は百七十五人(今月十九日現在、日本被団協まとめ)。十二日には、大阪、広島に続いて東京地裁でも結審している。
■提訴3年、10人他界 原告、老い・病とも闘う
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判決日が決まった知らせを受けて、支援する会の事務局で打ち合わせをする左から丸山さん、渡辺事務局長、重住さん
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亡くなった仲間に全面勝訴を報告したい―。広島地裁が原爆症認定集団訴訟の判決日を決めた二十五日、原告の被爆者や支援者たちは、二〇〇三年の提訴から三年余の間に他界した十人の仲間の無念さに思いをはせながら、判決への期待を募らせた。
二つの広島県被団協などでつくる「原爆訴訟を支援する会」事務局(広島市中区)。原告団副団長の丸山美佐子さん(63)=安佐北区=が、背中をギプスで固定して駆け付けた。一カ月ほど前から背中の骨が曲がり、脚が痛み始めたという。
団長の重住澄夫さん(77)=中区=も市内の病院で自由のきかない脚の治療を終えると、急ぎ事務局へ。事務局長の渡辺力人さん(79)=西区=と、判決当日の段取りを相談した。
老いが進む原告は、みな病気とも闘っている。この日朝、広島県府中町の原告女性(65)の死を知らせる電話が、渡辺さんにあった。四十五人いた原告のうち、判決を待たずに亡くなったのは十人目。二十日も、肺がんに苦しむ東区の原告男性(78)が死亡したばかりだった。
重住さんは「裁判が長引けば、原告に死ねと言うようなもの。八月六日を前に無念の思いで死んでいった仲間の分まで勝訴を待ちたい」。丸山さんも「自分の体がどうなるか、自分でも分からずに怖い。何年たっても被爆者を苦しめる原爆の本当の恐ろしさを、きちんと認めてほしい」と訴えていた。(森田裕美)
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