ホーム社説天風録地域ニュースカープ情報サンフレ情報スポーツ情報全国・世界のニュース

3:ハルマヘラの風 遺品・遺骨なき祖父追う

ペットボトルに入ったハルマヘラ島の砂とサンゴを見せる森さん。「皆さんの心の奥底の『もどかしさ』を知らされた」(鳥取市吉成のもり動物クリニック)

もどかしさ 遺族に共通

 太平洋戦争敗戦の一九四五(昭和二十)年、日本から約四千キロ南方の戦場、オランダ領ハルマヘラ島(現インドネシア)で果てた兵士たちの中に祖父がいた。獣医師森徹士(てつお)さん(50)=鳥取市吉成=はペットボトルを取り出し、「ハルマヘラの浜の砂です」。中に混じる白いかけら。それは骨ではなく、サンゴだった。

 森さんが昨年末に自費出版した「ハルマヘラの風」は、祖父の足跡を追った。本を読んだ東京都内の男性が、やはりこの島で死んだ叔父の慰霊のためにその後、島を訪ね、砂を持ち帰ってくれた。森さん自身はまだ島に行ったことがない。

 身内さえ混同

 母方の祖父井上三次は一九○六(明治三十九)年、広島県神石郡生まれで、同県芦品郡(現福山市駅家町)の井上家に婿養子で入る。四一(昭和十六)年に旧陸軍輜重(しちょう)兵第五連隊に臨時召集され、宇品港(現広島港)から南方戦線へ。各地を転戦して四五(昭和二十)年、ハルマヘラ島で三十八歳で戦病死した。遺骨や遺品は返らなかった。

 戦後生まれの森さんはむろん祖父を知らない。戦後六十年の昨年、その最期をふと知りたくなり、半年かけて調べた。「身内でさえ、この島がどの国なのか、混同していた。それでいいのか、というもどかしさがあって…」と振り返る。

 まず福山市から祖父の除籍謄本を取り寄せ、広島県から兵籍簿を取り寄せた。「(昭和十六年)九月一八日動員完結」。一人の男の祖国での足取りはこれで終わる。

 防衛庁防衛研究所戦史部で戦友会を紹介してもらい、インターネットで「ハルマヘラ」をキーワード検索。当時の絵が添えられた部隊日記などを見つけ、メールのやりとりで情報収集した。その結果、生まれてから戦病死するまで祖父がどのような時代に生きたか、どんな戦地にいたのか、それが浮かび上がった。

 分からぬ最期

 戦後、戦没者叙勲を受け、靖国神社に合祀(ごうし)されたことは分かった。しかし、島のどこで死に、どこに埋葬されたか、結局分からない。身内の証言も乏しく、九四年に亡くなった祖母ミヤ子が「ちゃんと軍医に診てもらっていた」と生前話していたぐらいだった。山野に遺棄されたのではないことだけが推測できた。

 森さんは「調べれば何とかなると思っていたが、甘かった。七〇年代、八〇年代ならまだ生の証言が聞けただろう。祖母の話でさえ、生前に聞いておかなかったのが悔やまれた」と言う。

 本にしたのは医師で自著が多数ある郷土史家の父、納さん(77)の勧め。中国新聞などに紹介記事が載った後の反響に驚いた。身内をこの島でなくした老婦人からの長文のファクスをはじめ、電話、手紙、訪問が相次いだ。「皆さんに共通しているのは『悔しい』『もどかしい』という心の奥底の気持ちでした」

 森さんは今、井上家の墓に遺骨がないもう一人の男、祖母ミヤ子の叔父の消息を調べている。大正の終わり、結核を患い、妻子と別れて文字通り「死出の旅」の四国遍路に立った。調べたところ、現在の高知県安芸市で亡くなっていた。墓は突き止めていない。
 「一人一人に人生があったのに、こうして忘れ去られる。家族や子孫だから調べられることもある半面、難しい面もある。せめて私家版で、わずかな部数でも、記録にとどめておきたい」=文中、故人は敬称略(佐田尾信作)

家族史の中の原爆・戦争

2006ヒロシマ


ホーム社説天風録地域ニュースカープ情報サンフレ情報スポーツ情報全国・世界のニュース