隣国のウクライナや、ベラルーシ南部の汚染地の村を訪ねた後、ほぼ二週間ぶりにゴメリ市のホームステイ先に戻ることができた。汚染地に無許可で入り、聴取されて以来、同居先の家族に迷惑を掛けないよう、宿泊するのを遠慮していた。
野党のデモ隊が、治安部隊にけ散らされた三月下旬の大統領選後の緊張も和らぎ、ステファン(54)とナターシャ(51)夫妻が再び迎えてくれた。
アパートの小さなベッドに久しぶりに身を横たえた。そばにある段ボール箱の上には、置き忘れていた文庫本や地図がきちんと並べられていた。
数日後、一緒に買い物に出かけた街中で、ナターシャからピンクのバラの花束を渡された。ステファンのおいのウラジミール(38)の長女アンナ(15)への誕生日プレゼントだという。アパートを一度訪れたことのある私から手渡せというのだ。
この国では、女性に花束を贈るのは普通らしいが、バラの花束を手にして街を歩くのは恥ずかしい。つい早足になる。
アパートには、親類や友人が集まっていた。私がチェルノブイリ原発を取材してきたと聞いて、質問が相次ぎ、夜遅くまで話し込んだ。
翌日、「原発事故で最愛のわが子を失った」と確信するナターシャに、原発は必要と思うかと尋ねた。「ほかに有望なエネルギーがない以上必要でしょう」。そばでステファンもうなずく。
今回、多くの街や村で被災者に原発への考え方を聞いた。「原発はいらない」「廃止すべきだ」。言い切る人には一度も出会わなかった。
▽疎開先で苦労
事故後、放射線に汚染された故郷から疎開して来た住民約三百人が暮らすゴメリ州のグービッチ村を訪ねた時の印象が、強く心に残っている。
原発から十二キロ離れたクルキ村から来たグライ(67)は、疎開先の新天地に移り住んだ当初の苦労話をとくとくと語った。「故郷はそれは美しい村だった。先祖代々の土地を捨てたのはつらいよ」。約十年前に甲状腺がんの手術を受けた。
同じく疎開組のアナスタシア(67)は、「事故の記憶」と名付けた自作の詩を教えてくれた。放射能の冷たい風が吹き、大切な故郷を奪われる―。そんな内容だった。
同行した地区赤十字の責任者ゲオルギー(41)は、国内に原発が一基もないベラルーシが最大の被害を受けた皮肉な現実を嘆いた。「ロシアは今も、わが国の近くに原発を配置し、隣国リトアニアも国境付近に核廃棄物処理場を計画している」と憤慨する。グライも「本当なのか」と問いただし、そして怒った。
それでも、この三人は「原発は必要だ」と口をそろえる。彼らの論理はこうだ。「チェルノブイリの問題は、人が多く住む場所に原発を建てたことだ。悲しいことだが、事故はどこかでいつか起きる。人があまり住んでいない場所に建てるしかないんだよ」。東京や大阪など大都市を避けるように、地方にばかり原発が建設される日本の現実が思い浮かんだ。
▽押し付け合い
故郷を追われたグライや、被災者の医療支援に尽力するゲオルギーらの言葉には重みがあった。ただ、「原発は必要だが、自分の家のそばにできるのは許せない」という感情には、身勝手さも感じた。
「物騒な施設」は、他人が住む土地に押し付け合う。やるせない現実的な論理は、汚染地に生きるチェルノブイリの被災者にも例外ではなかった。<敬称略>(滝川裕樹、写真も)
【写真説明】住民が疎開し、ゴーストタウンになったソンニチ村。事故前には約4000人が暮らしていた
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