「欧州最後の独裁国家」と、欧米から批判されるベラルーシ。その大統領選直前の三月中旬、ゴメリ市のホームステイ先に戻ってきた。ステファン(54)や姉のアンナ(65)と食卓を囲む。久しぶりに楽しい夕食だ。
しばらくしたある日、通訳と運転手と一緒に郊外へ車を走らせた。特別な許可は不要だと思って、放射能汚染地域に入っていった。アクシデントは、そこで起きた。
ロシア製の車が近づいてくる。三人乗っていた。迷彩服もいる。「まずい」。直感的に感じたが、すでに遅い。
▽2時間で解放
威圧的な男が車から降りて、運転手に質問を浴びせかける。国からもらった記者証を見せようと前に出る。だが、「そんなものはいい」と、取り付く島もない。「あす午後三時に、ここに出頭するように」。一方的にそう告げると、出頭先が書かれた紙を渡された。
車で引き返し、しばらく走っていると、今度は検問所で止められた。きっと連絡が入ったのだ。粗末な監視小屋での尋問は続いた。奥にある古いテレビから、陽気な音楽が流れてくる。猛烈に騒々しい。頭が混乱してくる。
許可が必要だと知らなかったのか―。入れ代わり役人が現れ、繰り返し同じ質問をする。相手は警察なのか、軍隊なのか、分からない。約二時間の取り調べを受け、ようやく解放された。
そもそも、汚染地区に関する規制には、分かりにくい部分が多い。ただ、厳格にルール違反だと言われれば、従うしかないだろう。役人の一人は「今は大統領選を前にして、すごく厳しくなっている。こっちだって困るんだ」といら立っていた。
帰り道、通訳と話した。「ここに書いてある出頭先は何の機関ですか」。受け取った紙を見せる。「それが分かれば、苦労せんよ」
アパートに戻って事情を告げた。「ここの住所を言ったのか」。ステファンは、おろおろしている。旧ソ連時代、西側の外国人を自宅に泊めるのは大変な困難を伴った。政府や警察関係から、あらぬ疑いをかけられる恐れがあるからだ。いまもこの国では、強権的な政治体制が続いている。ステファンの動揺する姿に、長い間、秘密社会を生きてきた人々の不安を垣間見た気がした。
▽滞在先を出る
申し訳ない気持ちで、やり場がなかった。お世話になった同居先に迷惑は掛けられない。急いで荷物をまとめると、ステファンのアパートを飛び出し、市内のホテルに駆け込んだ。
出頭先は怖い機関ではなかった。それでも運転手は罰金を日本円で二千円近く取られた。現地で入手した汚染地域の取材許可は、すべて取り消された。面倒な取材申請は一からやり直しだ。
大統領選は、現職のルカシェンコの圧勝に終わった。しかし、不正選挙だと訴える野党側のデモと、鎮圧に乗り出した政府の治安部隊が衝突し、緊迫感はさらに高まった。
数日後、ステファンが親類宅にある蒸し風呂に連れて行ってくれた。蒸し風呂の中で、束ねたシラカバの葉で互いに背中をたたき合う。「また泊めてくれるか」。そう尋ねてみたが、考え込んだままだった。
しばらく時間を置くしかない―。ゴメリでの同居取材は一時中断だ。あてのないまま、住み込み取材ができる汚染地域での宿探しが始まった。〈敬称略〉(滝川裕樹、写真も)
【写真説明】予期せぬ出来事のショックを慰めるため、蒸し風呂に誘ってくれたステファン
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