中国新聞社
Hiroshima 2002 (English)

2002.8.6

被爆の「記憶」共有 ヒロシマ祈りの日

 ヒロシマはきょう、被爆57周年の「原爆の日」を迎えた。広島市の被爆者の平均年齢が70歳代となった今、1945年8月6日の「重み」が一段と増している。 

 世界はこの1年、「恒久平和」を叫び続ける広島市民の願いと裏腹に、テロと報復の連鎖に翻弄(ほんろう)された。さらには、インドとパキスタンの核戦争の危機も指摘されるなど、世界情勢は混とんとしている。こうした中、容認できない福田康夫官房長官の非核三原則見直し発言もあった。

 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」。広島市中区の聖地・平和記念公園の慰霊碑前には、未明から年老いた被爆者たちの無言の祈りが続いている。静かに手を合わせる広島市民の願いは、57年前の被爆体験を「人類共有の記憶」とし、ヒロシマが「平和と人道の世紀」創造の発信地になることにほかならない。

2002/08/06/00:15
【写真説明】広島市中区の元安川沿いにたたずむ原爆ドーム。「被爆の証人」は「あの日」の記憶を永久に伝える

2002/08/06/00:45
【写真説明】「現在の自分があるのは祖父のおかげです」。広島市安佐南区東野3丁目、自営業西岡恒さん52歳と妻の百合子さん50歳は慰霊碑に静かに線香を手向けた

2002/08/06/00:25
【写真説明】「安らかに眠って下さい…」。慰霊碑の前には、6日午前零時から肉親の霊を弔う人たちが続いた

2002/08/06/01:50
【写真説明】「46歳で亡くなった母の歳を越えてしまいました」。広島市西区福島町の吉野和子さん48歳は「昼間の暑さを避け、毎年この時間にお参りに来ています」

2002/08/06/05:50
【写真説明】「伯父、伯母6人を原爆で亡くしました。8時15分には仏壇の前で」と話しながら、原爆ドーム東隣りの西向寺で手を合わせる角田忠司さん一家

2002/08/06/06:45
【写真説明】平和記念公園内の原爆供養塔であった原爆死没者慰霊行事で、遺族代表として献花した広島市中区猫屋町の会社員柳沢正平さん63歳(左)。「夜の灯ろう流しまで、小学1年と3歳の孫2人と一緒に過ごします」

2002/08/06/07:40
【写真説明】原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)が催される平和記念公園は荘厳な雰囲気に包まれた

2002/08/06/08:00
【写真説明】平和記念式典には被爆者や小泉首相ら45000人が参列した

2002/08/06/08:15
【写真説明】原爆投下時刻の8時15分、参列者全員が黙とうし犠牲者のめい福と恒久平和を祈った

2002/08/06/08:15
【写真説明】平和の鐘を合図に原爆ドーム周辺で行われたダイイン。広島県北の中学生ら約400人が犠牲者のめい福を祈り、平和を訴えた

2002/08/06/09:05
【写真説明】「西観音町の自宅にいたら突然、柱が倒れ、ガラスの破片が飛び散った」。原爆ドームを見つめる広島市安佐北区亀山南の三吉トシコさん80歳の「記憶」は、娘の靖子さん59歳から、孫の美佐子さん35歳と浩さん29歳を経て、ひ孫の侑大ちゃん2歳へと引き継がれる

2002/08/06/15:00
【写真説明】広島市の午後3時の気温は32・9度。猛暑の中、慰霊碑を参拝する人が続く

2002/08/06/19:30
【写真説明】2500個のオレンジ色の光が、原爆ドームを包み込んだ。今年6回目の「ピースキャンドル」。広島県内の子どもたちが「夢」をテーマに色付けした

2002/08/06/19:40
【写真説明】「二度と戦争がないように」「安らかに眠ってください」―。日本語や英語、ハングルなどを刻み、元安川をたゆたう色とりどりの灯ろう

Home 復元・猿楽町CG完成 8月6日から原爆報道展 9月8日まで(横浜の日本新聞博物館)