森喜朗首相の言葉には、どうも首をかしげたくなることが多い。き
のうの被爆地広島での言動にも意味不明、矛盾が目立ち、もどかし
さが残った。その一つが、原爆資料館を見た後に記帳した言葉であ
る▲「栄光と悔恨の二十世紀 平和と繁栄の二十一世紀」―。「栄
光」とは、何を意味するのか。科学技術の進歩だろうか。経済大国
を指すのか。核時代の足跡をたどるとき、今世紀が栄光の歴史とは
思えないのだが…▲首相は平和記念式典のあいさつで「憲法を守
り、非核三原則を堅持する」と述べた。だが被爆者代表や秋葉忠利
市長の要望を聞く席では、核持ち込み疑惑の説明を避け、三原則法
制化も「必要ない」と突っぱねた▲「核兵器廃絶の明確な約束」
(核拡散防止条約再検討会議)の「実行に努力」を口にしながら
「廃絶を求めることは対立を助長する。包括的核実験禁止条約(C
TBT)の発効など一歩ずつ核軍縮を進めるべき」と強調した。こ
れでは約束の後退につながらないか▲米国へのCTBT批准と臨界
前核実験中止の要請も「する考えはない」では、矛盾する。北東ア
ジア非核化地帯構想にも「その環境にない。防衛抑止力の向上と対
話努力を続けたい」と語った。朝鮮半島融和の時代の流れと認識が
ずれ、「向上」も「軍拡」と誤解されないか。市長への回答は、メ
モを渡して済ませる駆け足の来広。核廃絶や被爆者のことを本気で
考えているのか、と疑念を抱く声もあった▲「栄光」は二十一世紀
の目標に置き換えてはどうか。人類の恒久平和のために「名誉ある
地位を占める」(憲法前文)努力へ踏み出したい。
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