広島市内の川で泳ぐ子供たちの姿がいつごろからなくなったのか。
昭和二十八年の映画「原爆の子」には、元安川にかかる萬代(よろ
ずよ)橋から、ふんどし姿の子供たちが次々と飛び込む場面がある
▲「危ないよ」と注意されても、子供たちは「へっちゃらよ」と意
に介しない。がれき、バラック、ちゃぶ台、銭湯、ゆかた、もん
ぺ、白いブラウス、夏草、セミしぐれ、木橋、川舟、川底の砂の
波、等々がロケを彩る小道具と舞台だ▲市内を流れる六つの川の総
面積は、デルタの二〇%を占める。大小、百を超える橋。百万都市
を貫流する川の水質は、全国でも最高のランクだ。管理者の建設省
は「危険な水門付近を除けば、川遊びは自由使用の範囲」という。
泳いでも結構の意だ▲ところが末端に行くほどあいまいになる。保
健所は「水浴場の届け出がないので適否は言えない」。この季節、
毎年水難防止の通達を出す市教委は「特に川遊びを禁じているわけ
ではない」。通達を受け取った中学校は「小学生からプールの習慣
が持ち上がっているので、あらためて注意はしない」▲つまりは自
己責任でということだ。市内の全校にプールが完備したのが昭和三
十年代。川の汚れも、このころからひどくなった。少子化、マイホ
ーム主義、すべてが符合がする。気がつくと川は随分きれいになっ
たが、一度断ち切られた記憶は、容易に戻らない▲河畔を歩いて目
立つのは、新しい慰霊碑である。迫る炎から逃れ、赤むけの体を浸
した水、川面を浮き沈みして流れ行く人たち。荼毘(だび)の煙が
立ち込めたのも同じ川端だ。被爆者にとって、川は特別な思いに満
ち、断ちがたい追憶の場なのであろう。こよい、灯ろうが流れる。
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