五十五年目のヒロシマの夏がめぐってきた。きょうは二十世紀最
後の「広島原爆の日」である。
今世紀中の核兵器廃絶という悲願は達成不可能のようだ。二十一
世紀を「非核の世紀」にする確たる保証もない。それどころか米本
土核ミサイル防衛(NMD)構想をめぐって、世界には核軍拡の懸
念さえ出てきた。核戦争の証人である被爆者は平均年齢が七十歳を
超え、証言活動にも陰りが見えてきた。一体どう体験を継承し、核
廃絶の達成と世界の平和につないでいけばいいのか。
覆われた被爆の記憶
平和祈念式会場の平和記念公園の地下から、五十五年前の無残な
廃墟が出てきた。いま工事中の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
の建設現場である。表土を二、三十センチはがすと、焼け焦げたれんが
や、高熱にさらされて表面が泡だったかわらなどが出土する。原爆
資料館では、表土から約二メートルの深さまでの地層を切り取って
資料づくりを進めている。それは、いつもは覆われている原爆の記
憶のようにも思え、薄皮に触れるといつでもうずき始める傷跡のよ
うでもある。
地層断面はちょうど産婦人科医院の跡だった。被爆当時、医療従
事者は疎開を許されなかった。そのため多くの殉職者を出した。し
かも、負傷しながら被爆者の治療に当たった。設備が壊され、医薬
品も足らず、なすすべがなかった。「(自ら)被爆して治療して、
なお自責の念にとらわれている姿。これが、核廃絶を訴える広島の
医師の原点」(市医師会「ヒロシマ医師のカルテ」)なのだ。
被害者意識を超えて
「ヒロシマ」を言うと、被害者意識でいいのか、と問われる。
「被害者意識は、なぜよくないか。それはまず第一に、戦争に対す
る責任をあいまいにしてしまう。/あの戦争、わたしの家族四人が
死んだ戦争は、仕掛けられたものではなくて仕掛けたものであり、
わたしの親もきょうだいも、そしてわたし自身も、戦争には賛成で
あった」(佐野美津男氏)との言葉を作家沢地久枝さんが紹介して
いる(暮しの手帖編「デルタの記」)。
しかし、被爆者の意識の多くは単純な被害者意識ではない。それ
は被爆医師の「自責の念」にもうかがえる。これまでの取材経験か
ら言うと、被爆者の心の深い痛みは、自らの被害意識に発するとい
うより、自らが人間としてやるべきことができなかった、というい
やし難い、人間性に基づく痛みが多い。火の中に残された家族を助
けることができず、自分だけが生き残ってしまった…逃げる途中で
「お母さんを助けて」とすがる子供にこたえてやることができなか
った…。
あるいは、深い愛があるからこそ、流される涙がある。東京の中
学生をヒロシマ修学旅行に連れてくるようになり、死ぬまでヒロシ
マ修学旅行の世話を続けた江口保さん。最初の修学旅行で被爆の証
言を依頼した老被爆者は、原爆で亡くした自分の子供と同じ年ごろ
の生徒を前に、何も言えずに涙を流した。「その涙が生徒の心に何
かを伝えてくれた」と江口さん。涙の中に親の愛の深さと戦争の悲
惨さを、生徒たちは見たのである。
資料館が与えた転機
先月末、広島市で開かれた国際シンポジウムに参加した英国の非
政府組織(NGO)のレベッカ・ジョンソンさんは、各国の核につ
いての動きを追いかけ、世界に情報を発信してきた。核拡散防止条
約(NPT)再検討会議でも状況をつかみ、知らせ、対策を立てる
ことで、会議に一定の成果をもたらす働きもした。レベッカさんが
こうした活動に入ったのは、広島原爆資料館の真っ黒に焦げた弁当
を見たからだという。小さな被爆資料に母の深い愛情と、人間性を
破壊する原爆の本質を感じたのであろう。
とはいえ、被爆体験を本当に心から心へ伝えるには、ヒロシマも
戦争の歴史を学び、その責任も厳しく受け止める必要がある。「加
担せしざんげは深し老い吾(われ)を反戦平和の輪に入れ給え 田
川清美」(「ヒロシマ百人一首」)―謙虚な反省がある。被爆前の
広島で戦争に加担してきたのは少数ではない。アジア太平洋諸国の
人々に与えたおびただしい死と苦痛。そこには間接的とはいえ銃後
の人々の責任もある。それを学び、正面から受け止めて初めて、海
外もヒロシマの訴えに心を開いてくれるだろう。
しかし、被爆者の高齢化は進む。来春で活動をやめる証言グルー
プもある。ヒロシマ修学旅行も最盛期に比べて三分の二に減った。
証言のビデオ撮りや語りべ養成も進んでいる。だが、証言をただ残
せばいいのではない。
「もう原爆でもなかろう」という町の声が広島でも聞こえてく
る。「これでもか」の姿勢は、かえって多くの心を閉じさせる。謙
虚で、しかも人間性の根源に触れる表現がいる。そのためには演劇
や音楽、踊り、美術…いろんな芸術による普遍化の試みも必要だ。
NPT再検討会議で核保有五カ国は「核廃絶の明確な約束」で合
意した。それを一歩ずつ「実行」させるため、国の内外に非核の世
論をつくっていこう。それが被爆地、被爆国の務めである。
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