被爆地広島 地元紙の原爆平和記事
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防衛装備研究施設 整備へ 日鉄呉跡地で防衛省 開発企業を誘致 無人機も製造方針
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25年4月1日
ニュース
8・6式典規制 市に撤回要請 ジャーナリストら
日本ジャーナリスト会議広島支部は31日、広島市に対し、8月6日に平和記念公園(中区)で催す平和記念式典で会場への入場規制をしないよう求めた。 支部メンバー...
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25年4月1日
社説・コラム
朝凪(あさなぎ) 「店主不在」に染みた酒
帰りの寄り道が増えた。2月までいた柳井支局は2階が仕事場、3階が自宅。通勤は5秒もかからない。広島へ4年ぶりに戻り、今は混み合う路面電車で20分ちょっと。運賃...
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25年4月1日 ニュース
[被爆80年 芸南賀茂] 戦地からの手紙やエッセー 戦争の記憶 朗読でつなぐ 東広島
東広島市の市民グループ「次世代による東広島の戦争・原爆体験継承ネット」は、太平洋戦争中に戦死した家族がのこした手紙や、作家のエッセーを朗読するイベントを市役所...
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25年4月1日 ニュース
防衛整備案 期待と不安 市議ら安全性 懸念も 日鉄呉跡地の機能配置方針
呉市の日本製鉄(日鉄)瀬戸内製鉄所呉地区跡地への複合防衛拠点の整備案を巡り、防衛省が31日に示したゾーニング(機能配置)。防衛省の担当者から説明を受けた呉市議...
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25年4月1日 ニュース
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1959年6月 後障害研究会
効果的治療法 解明図る 1959年6月13日。第1回原子爆弾後障害研究会が、広島市の平和記念館(現中区)で2日間の日程で始まった。地元医師たちでつくる広...
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25年4月1日 ニュース
国際賢人会議【解説】 核抑止論 脱却見通せず 後退させぬ決意にじむ
国際賢人会議の提言は、核軍縮の歩みを後退させまいとする強い決意がにじんだ。議論を交わしたこの2年余り、核兵器を巡る国際情勢がかつてなく悪化したことを思えば当然...
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防衛装備研究施設 整備へ 日鉄呉跡地で防衛省 開発企業を誘致 無人機も製造方針
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25年4月1日
ニュース
8・6式典規制 市に撤回要請 ジャーナリストら
日本ジャーナリスト会議広島支部は31日、広島市に対し、8月6日に平和記念公園(中区)で催す平和記念式典で会場への入場規制をしないよう求めた。 支部メンバー...
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25年4月1日 ニュース
[被爆80年 芸南賀茂] 戦地からの手紙やエッセー 戦争の記憶 朗読でつなぐ 東広島
東広島市の市民グループ「次世代による東広島の戦争・原爆体験継承ネット」は、太平洋戦争中に戦死した家族がのこした手紙や、作家のエッセーを朗読するイベントを市役所...
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25年4月1日 ニュース
防衛整備案 期待と不安 市議ら安全性 懸念も 日鉄呉跡地の機能配置方針
呉市の日本製鉄(日鉄)瀬戸内製鉄所呉地区跡地への複合防衛拠点の整備案を巡り、防衛省が31日に示したゾーニング(機能配置)。防衛省の担当者から説明を受けた呉市議...
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25年4月1日 ニュース
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1959年6月 後障害研究会
効果的治療法 解明図る 1959年6月13日。第1回原子爆弾後障害研究会が、広島市の平和記念館(現中区)で2日間の日程で始まった。地元医師たちでつくる広...
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25年4月1日 ニュース
国際賢人会議【解説】 核抑止論 脱却見通せず 後退させぬ決意にじむ
国際賢人会議の提言は、核軍縮の歩みを後退させまいとする強い決意がにじんだ。議論を交わしたこの2年余り、核兵器を巡る国際情勢がかつてなく悪化したことを思えば当然...
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25年4月1日
ニュース
「核戦争防ぐ緊急行動を」 国際賢人会議閉幕 政府に提言
核兵器廃絶への道筋を国内外の有識者が話し合う国際賢人会議の最終会合が31日、2026年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた提言をまとめ、閉幕した。提言...
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[私の道しるべ ヒロシマの先人たち] 前広島県被団協事務局長 前田耕一郎さん(76) 近藤幸四郎
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25年3月17日 連載・特集
『記憶を受け継ぐ』 清水弘士さんー「空白の10年」伝える
清水弘士(しみずひろし)さん(82)=広島市東区 下痢に悩んだ幼少期 口癖は「たいぎい」 被爆者が「空白の10年」と呼(よ)ぶ時代がありま...
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25年3月16日 連載・特集
[ヒロシマドキュメント 被爆80年 1945.8.6~2025] 1955年8月 原水爆禁止世界大会
「1発の原爆が無辜の人を、老人を、子どもを、女を、無残にも殺してしまって良いものだろうか」 心身の傷 広く伝える決意 被爆から10年。1955年8...
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25年3月16日 連載・特集
核抑止に対抗する 第3回締約国会議から <下> 市民の行動に「希望の光」
政策提言やライブ配信 議場での採決には加われないが、各国の市民と政府代表が同等の立場で議論する―。3~7日に米ニューヨークの国連本部で開かれた核兵器禁止...
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25年3月15日 連載・特集
核抑止に対抗する 第3回締約国会議から <中> 完全廃絶 科学での試み
現実的道筋 立証に挑む 「私には、まだ戦争は終わっていない。被爆者は核兵器がゼロにならなければ安心できない」。米ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約の...
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25年3月14日 連載・特集
核抑止に対抗する 第3回締約国会議から <上> NATO参加国ゼロの衝撃
官民「揺るぎない決意」 「われわれ締約国は、高まる核の危険に立ち向かうという揺るぎない決意のもとに結束している」「廃絶は単なる願望ではない。人類の生存に...
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25年2月28日 連載・特集
この人の〝反核〟 <12> 阿波根昌鴻(農民・反戦地主、1901~2002年)土のにおい 非暴力の闘い
沖縄から 今を射抜く語り 「すべて剣をとる者は剣にて亡(ほろ)ぶ 基地をもつ国は基地で亡び 核を持つ国は核で亡ぶ」―。外壁にそう大書された私設の資料館が...
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[知っとる? ヒロシマ調べ隊] 援護法求める運動の一つ
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25年4月1日
社説・コラム
朝凪(あさなぎ) 「店主不在」に染みた酒
帰りの寄り道が増えた。2月までいた柳井支局は2階が仕事場、3階が自宅。通勤は5秒もかからない。広島へ4年ぶりに戻り、今は混み合う路面電車で20分ちょっと。運賃...
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25年3月29日
社説・コラム
天風録 『カープ縦読み、横読み』
中国放送からカープへのエールだ。新聞を開きテレビ欄を縦に読む。頂点目指せ―などと巧みに隠された別の文がにじむように浮かぶ。13年前に始まった企画という▲がむし...
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25年3月29日 社説・コラム
[表現者の戦後・被爆80年] 小説家 平野啓一郎さん(49) 当事者じゃないから 書く意義
核抑止論 「現状追認型の現実主義」 広島、長崎への原爆投下と第2次世界大戦の終結から80年を迎える。終戦以来、あまたの作家や芸術家があの惨禍を描いて...
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25年3月27日 社説・コラム
『別れの記』 在米被爆者 笹森恵子(ささもりしげこ)さん
昨年12月15日 92歳で死去 世界で反戦反核訴え 20年余り前に取材で出会って以来、里帰りのたびに連絡をくれ、こちらが米国出張のたび世話になった...
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25年3月27日 社説・コラム
『論』 戦後80年 論説委員 加納優 スポーツ観戦王国・広島
育て支える情熱が土台に クレオパトラの鼻がもう少し低かったら―という有名なパスカルの言葉は、世界史の分岐点を語る際に用いられた。スポーツ観戦の頻度や使う...
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25年3月22日
社説・コラム
『潮流』 3びきのオオカミ
■論説委員 森田裕美 長男の在学中から足かけ10年、地元小学校で続けた読み聞かせの活動が今月、次男の卒業で終了した。本の魅力を伝えたくて保護者仲間で年数...
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証言 記憶を受け継ぐ
- 『記憶を受け継ぐ』 本谷量治さん―「生き残った」苦悩抱える
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ジュニアライター発信
中国新聞ジュニアライターの中高生
『ジュニアライター発』 日米の高校生が学習会 対話 平和への一歩に


国泰寺高(広島市中区)の姉妹校である米国ニュージャージー州の高校「バーゲン・カウンティー・アカデミーズ」の生徒12人が広島を訪(おとず)れ、私たちと一緒(いっしょ)に平和を考える学習会に参加しました。 最初に平和記念公園(同)を歩きました。原爆資料館を見学後、米国の生徒は「授業で学ぶのは広島で約14万人が亡(な)くなったということぐらい。被爆者一人一人の人生に触れ、見方が変わった」「つらい気
記事一覧動画で平和発信

トロント市民へ、平岡敬さんからのメッセージ
被爆79年の8月6日(現地時間)、サーロー節子さんたちがカナダ・トロント市庁舎前広場で開いた集会で放映された平岡敬・元広島市長のメッセージ動画です(撮影・山田尚弘) 記事はこちら...
動画一覧