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連載・特集

広島で10月6日行われたドゥニ・ムクウェゲ氏の講演全文

 お集りの皆様、私の講演を始めるにあたり、まずは1945年8月6日の原爆投下という悲劇によって、人生が突如断たれた死者たち、傷ついた人々、病気になった人々に祈りと敬意の念を捧げたいと思います。その日、この広島の街は人類の存続や地球の存在さえ危うくする核兵器という忌まわしい兵器の標的になったのでした。お集りの皆様全員に起立をお願いし、この想像を絶する巨大な破壊を思い起こしながら、犠牲者に対する1分間の黙祷を捧げることを提案したいと思います。(1分間の黙祷)

 人間性の原則を無視した、無差別の攻撃の犠牲となった女性たち、男性たち、あらゆる年齢の人々に、こころからの祈りと敬意を捧げます。第二次大戦を振り返るとき、「二度と繰り返さない」という言葉を誰もが思い浮かべます。あの忌まわしい過去、大きな過ちを二度と繰り返さないという責任を思うのです。私の中の人間性は、皆さんの中の人間性と強く結びついています。それはアフリカの言葉の「ウブントゥ」が表現している状態です。この「ウブントゥ」は、他者と結びつくこと、連帯という倫理観に基づくアフリカの哲学なのです。

 他者の人間性を重んじれば、自然にお互いを尊重する関係が生まれる。なぜなら、我々は皆、共通の運命に対しお互いが依存し合う状態だと理解できるからです。皆さんが体験したトラウマは、私の中で共鳴音をたて、人間としての私を打ちのめすのです。

 日本は、比類なき躍動力を持って第二次大戦の廃墟から立ち上がり、誰もが認める繁栄を手にしました。しかし、戦争を忘れないということは、絶対に必要なことなのです。平凡な人間(私もそうですが)にとって、理解しがたいことを繰り返さないために、「思い出すこと」は絶対に必要なのです。

 平和記念公園を整備し原爆資料館を作った地域と国家の政治方針に敬意を捧げ、また1949年に広島市を平和都市にすると決めた決定にも敬意を捧げます。そのお陰で、広島市は平和の象徴となり、「二度と繰り返さない」ということを絶えず思い起こさせることができるのです。なぜなら平和とは、毎日、あらゆる瞬間に構築されるものであり、私たち一人一人が平和を形成していく、そういうものですから。原爆投下から70年経った2015年の原爆記念式典で、安倍晋三首相は次のように語りました。「わが国は唯一の戦争被爆国として、現実的で実践的な取組を着実に積み重ねていくことにより、『核兵器のない世界』を実現する重要な使命があります。また、核兵器の非人道性を世代と国境を越えて広める務めがあります」

 結局、現在もさらなる脅威をもたらすこの核兵器は、実存的な問題なのです。冷戦以降、軍事費は2倍になり、2500以上の核弾頭が直ちに発射できる状態にあります。核大国は核兵器を削減するイニシアチブに以前にもまして反対し、存在していた核兵器削減の条約さえ破棄している状態です。

 核兵器を使用する可能性は、今も存在します。したがって、広島市長が語ったように、この「絶対悪」が二度と使われないように、細心の注意を払う必要があります。我々が現在寄って立つ「世界の安全体制」は、第二次大戦後すぐに形成されました。国連憲章と世界人権宣言が採択され、ジュネーブ諸条約は、第二次大戦というおぞましいできごとの後で、人間性を取り戻そうとする世界のシンボルとなったのです。そしてこれらは、多国間主義、武力に頼らないという原則、人間の尊厳を尊重するという、三つ基本原則に基づいた国家間の新しい協力体制を構築したのです。

 ところが、人類の歴史において連帯が一番必要とされる21世紀の初めにおいて、以上のようなしっかりと構築された協力体制の後退やナショナリズムやポピュリズムという非常に憂慮すべき動きの台頭に直面しています。多国間主義は、後退させようとする動きに晒され、人権や国際人道主義は、全世界で毎日のように無視され続けています。我々は断固としてポピュリズムに対抗しなければなりません。これは、人々の無関心を助長し、他者に対する恐怖を駆り立て、非民主主義的な多くの試みを引き起こすものですから。しっかりと目を開かなければなりません。歴史が我々に教えてくれたにも関わらず、反応も対抗もしないという麻酔にかかった状態から抜け出さなくてはなりません。現在大きな焦点となっている、テロや気候変動、ないしは非人間化といった今日の問題に対しグローバルな解決方法を見つけようとすることで、我々の集団的な安全保障が成立するのです。こうした安全保障は、国家主権という原則を間違えて解釈することなく、一方で、非暴力や寛大さの原則によって導かれ、交渉や対話によって解決方法を探る形で構築されるのです。

 私はここで、広島に投下された原爆のウランが、かつてのベルギー領コンゴ、つまりは今のコンゴ(旧ザイール)のカタンガ地方で生産されたものだという事実を明確にしたいと思います。まさに今、アフリカ大陸の中心で起きている政情不安や安全が侵されている状態は、実は国際的な平和と安全を脅かすものなのです。コンゴの資源の違法な開発が引き起こしている危機は膨大なものです。もちろんこの危機は、コンゴ政府の責任なのですが、同時に国際社会全体の責任でもあります。なぜなら世界の平和は、この地域の安定と平和、鉱物資源の透明な責任ある取引によって実現されるからです。

 コンゴ東部で産婦人科医として仕事をしている私は、実は、考えもつかない「もう一つの武器」に遭遇したのです。それは、極度の暴力を持って行われる性暴力です。これは、支配、暴政、虐殺の手段としての、戦争の武器なのです。ここでいう性暴力は、侮辱的で同意できない、いわゆる一般的なレイプとは別物なのです。しかしここで私は、決してこの一般的なレイプによる深刻な問題や後遺症を軽視するつもりではないことは強調致します。ここで取り上げている戦争中の、極度の暴力を持って行われる性暴力は、単純に言えば支配の枠の中で行われる人間性の否定なのです。そこでは、犯される女性は「物」に、操作できる「物体」に変えられるのです。この物体は好きなように扱われるのです。このような残酷さは、動物の世界にさえ存在しません。戦争の戦略としての性暴力は、犠牲者の人間性を否定するだけでなく、人間性の破壊を意図しています。生命の母体としての女性だけでなく、その家族を、女性が属するコミュニティー全体をも否定します。コンゴ民主共和国の東部で行われている、戦争の武器としての性暴力は、それが集団に対し体系的に、見境もなく行われていることが特徴です。

 「集団であること」の理由は、24時間の間に少なくとも数十人、ないしは数百人の女性や少女が多くの村でレイプされている事実があるからです。しかも彼女たちはグループで公の場で、家族の目の前で暴力を受けます。夫や父親はこめかみに銃を当てられ、妻や娘が暴力を受けるのを見せられるのです。時には、同じく夫や父親自身がこめかみに銃を当てられ、妻や娘や妹を犯すように強制されることもあるのです。このようなことが公の場で行われるということは、犠牲者である女性に対し直接的なダメージを引き起こすことであり、同時に間接的な犠牲者も生み出します。つまりは、この恐ろしい光景を目の当たりにした人々はトラウマに陥り、ひいては間接的な犠牲者になるのです。

 このレイプが「体系的であること」の理由は、個々の武装集団がそれぞれ独自の方法を使って行っているからです。国の遠方から私の診療所に来た女性たちを診察したとき、地域によって、体の傷つけられ方が違っているのです。つまりは、どの武装集団がどのグループの女性たちをレイプしたかが、明確にわかるのです。そして拷問を受け、性の奴隷になっているのです。数人の集団によって犯された女性たちを治療したこともあります。最後には性器の中に銃を突っ込んで引き金を引くこともあるのです。別の女性グループは、拷問を受けた後、銃剣を性器に突っ込まれました。また別の女性グループは、性器に火傷を負わされ、さらに別のブループは棒やガラスの破片を性器に突っ込まれました。このように、それぞれの武装集団が、それぞれのやり方で拷問を行うのです。

 「見境がないこと」というのは、拷問が年齢や性に関係せず行われているからです。赤ちゃんだけでなく、老女にも及んでいる。ときには男性さえ犯されているのです。私が診察した、被害者である一番小さな赤ちゃんは6ヶ月でした。最も高齢の女性は80歳を超えていました。こうした事実から、(コミュニティー)を破壊しようという意図が、性暴力という行為以上に存在するということが明らかなのです。多数の市民に対し大規模に、体系的に行われるこうした性的な犯罪を前にしてわかったことは、階級の上層部の人たちからの、つまりは政府からの命令が、国家に属さない武装集団に下り、地域を管理させ、このレイプという効果の高い武器を使わせているのだということでした。

 ご出席の皆様、この新しい戦争の武器は、銃などの従来の武器より安いどころか、一銭もかからない物なのです。それは12歳から14歳の若い子供たちに対して行われる「洗脳」という武器を除いての話ですが(つまり、洗脳も安い武器なのです)。破壊するために、兵隊を狂犬に変貌させて送り出せばいいのですから、一銭もかかりませんさらに、このレイプという武器は非常に効率が高い。なぜなら、従来の武器と同じインパクトを生み出すからです。つまりは、(従来の武器と同じように)人々の集団移動、人口減少、社会組織(コミュニティー)の破壊、コミュニティー内の経済活動の破壊を引き起こすことができるからです。そしてそれは成功しています。

 簡単に、なぜ集団移動が起こるのか説明いたしましょう。多くの場合強姦は、公の場で、集団で、しかも拷問を伴って行われると先ほど言いました。そうした場合、人々は、女性の体に対してなされる非人間的な拷問、恐るべき暴力を見てしまう。それは極度の恐怖感を人々の中に植え付けるのです。次いで、犠牲者の女性たちは、彼女たちの属するコミュニティーから締め出されるのです。そして男性は自分の家族を保護できなかったという恥の気持ちから、彼らの住んでいた村を去っていく。他の場所で、人間としての「夢」を実現するために。そして自分が所有していた土地さえも見捨てるのです。安全のために、女性や子供も一緒に連れて行きます。

 こうした事象によって、農村から都会への集団移動が起こります。そして結局は、民兵たちが、農民が見捨てた土地を管理し、そこにある豊富な自然資源を買い占めます。それらは、すべて戦略的に行われている。例えば、コンゴ東部では、我々が使う電化製品に用いられるコルタンなどの鉱物資源が、このようにして開発されているのです。人口の減少は、次の三つのファクターの結果として起こっているのです。1)女性に対する様々なタイプの拷問とレイプ。例えば、女性の性器の中に銃を突っ込んで撃ったり、何かの物体を入れたり、ときには性器に火傷を負わせたりします。その結果、しばしば、こうした女性は子供を産めなくなります。2)性病に感染。クラジミア感染症がそうですが、これにかかると炎症が起きそのために子供が産めなくなってしまう。しかし、これは意図的に行われているのです。3)HIV感染。HIVに感染した場合、女性の被害者たちに「緩慢な死」を引き起こします。しかし、その母親から生まれたばかりの子供も、すでにHIVに感染しているのです。

 社会組織(コミュニティー)の破壊は、侮辱され非人間的扱いを受けることで起こります。こうした扱いを受けると、自分に対する尊厳や知的なアイデンティティーを失う。しかもこうした扱いが公の場でなされると、人はもはや人間ではないという感情を持ちます。もし、コミュニティーの中の何人もが、自分たちのアイデンティティーを失い、共同生活を行う能力を失ったとしたら、コミュニティーのまとまりは失われていく。コミュニティーに与えるこうしたインパクトは、性暴力から生まれる子供によってさらに拡大されます。なぜなら、こうした子供たちをコミュニティーは「子供奴隷」として扱い、コミュニティーから排除されていることが明白な名前をつけます。そしてこうした子供たちは、コミュニティーに属さない一つの世代を成し、潜在的に暴力を行使する側に回り、「暴力の連鎖」を作っていく。しかしそれは、彼ら自身が暴力から生まれ、コミュニティーから暴力を受け、その結果彼らがコミュニティーに「お返しする」のが暴力になるのは仕方ありません。

 女性たちがレイプされた村で経済活動が破壊されるのは、収穫物や財産が奪われ、家が破壊された結果起きるのです。またこうした没収のみならず、戦争を起こしている上層部や民兵によって鉱物資源や自然資源が開発される結果起きるのです。戦争の武器としての性暴力の結果として起きる以上四つのインパクトがコミュニティーに極端な貧困をもたらします。社会的なまとまりを破壊する結果、村人たちは村を離れるしか選択の余地がなくなる。どうしても村から離れたくなければ、支配者の言いなりになり、つまりは奴隷にならざるを得ないのです。

 今まで見てきたように、戦争の戦略としての性暴力は、短期的にも、中・長期的にも、さらには世代を超えて劇的な結果を生み出します。この戦略はまた、残念ながら世界中の多くの紛争の中で使われているものなのです。結局そこでは、女や子供たちが自分たちの意思に関係なく、男たちの間で決められた暴力によって、大きな犠牲を払うのです。

 ブカヴュの病院内で我々は、犠牲者の要求に従って行う実験的な支援モデルを開発しました。パンジー基金のお陰です。それは、医療、精神、社会経済、法という四つの分野で行われます。「パンジー・ワン・センター」で、実験的なモデルと我々が呼ぶこの支援は、生存者が自分の味わった苦しみを力に変え、自分たちの尊厳を修復できるように寄り添っていくことが目的です。今日このモデルは、犠牲者が人権を取り戻す支援だと我々は主張しています。

 しかし、レイプされた母親から生まれてくる第二世代の子供たちを治療する過程で、暴力の様々な結果を修復する仕事のみに関わってはいられないということがわかりました。男女の平等、正義、平和、これらを擁護することにも力を入れなくてはなりません。そしてそれらがこうした悲劇を減少させていく唯一の方法なのだということがわかったのです。

 性的暴力を予防するという点において一番重要な「道具」は、教育です。この教育は、ゆりかごから始め、成人になるまで続けなければなりません。私たちは、子供たちがまだ幼いときから、男子の性の良い側面を教えていかなければならない。そうして、愛に基づいた男女の補完性という形の中で男女の平等があるという基本概念を、確信を持って守っていくような新しい世代を育てていかなければならなりません。性的暴力に終止符を打つための第二の「道具」は、「(罪を犯した張本人が)罰を受けない」という体制に対して戦っていくことです。こうしたおぞましい犯罪が罰を受けない限り、残念ながらこれは続いていくからです。性的暴力に終止符を打つための戦略は、犠牲者ではなく、虐待者に「恥をかかせ、汚名を着せていくこと」です。これこそが、今後やっていくべき方向です。コンゴは、600万人の死者、400万人の移民、数十万人のレイプ被害者の女性を出した国です。死者を出さず、暴力の犠牲にならなかった家族は、ただ一つとして存在しません。そして我々は今、正義と人権が存在する国に戻らない限り、持続的な平和は存在しないと確信しています。コンゴ民主共和国で1993年から2003年にかけて行われた国際的人権と人権に関する、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の特別報告者による報告書(Mapping Report)の勧告に賛成し、それを実行するよう訴えるのは、こうした状況からなのです。

 ご出席の皆様、ここで痛みに耐え難い思い出を皆様と共有させてください。国連によって報告されたリストに掲載されている617件の国際的犯罪の中で、私の人生に深く刻まれたおぞましい犯罪があります。それは23年前に起きたのです。1996年10月6日、それは私がちょうど産婦人科医としての人生を始めた日でした。そしてその日、南キヴ州のレメラ病院では、30人以上の私の患者と医療に従事していたスタッフが殺害されたのです。彼らは、ルワンダに支援されたローランデジレ・カビラが指揮する「解放軍」といわれる軍によって無残にも殺されたのです。カビラはその後国内を支配していき、モブツを国外追放し、モブツ政権は崩壊しました。彼らが行った犯罪の中には、女性たちを生き埋めにするというものもありました。こうした犯罪は、それが罰せられなかっただけでなく、生き残った者たちは、こうした虐待者に毎日のように接するという状況が残ったのです。自分の母親が生き埋めにされる場面を目の当たりにした女性のことを想像できるでしょうか?私の患者のある女性はこう言いました。「穴の中から叫んでいる母親の声が今も耳について離れない」と。あなたを虐待した人間が、地域の事務員として、ないしは警察官としてあなたのそばに絶えず存在するのです。なんという拷問でしょうか。

 先ほど述べた報告書は、2010年の、ですから9年前の発表以来、なんの効果も生んでいないのです。その勧告書に述べられている諸案、例えばコンゴのために国際裁判を開設する案、二度と繰り変えさないという保証のために特別議会を設定する案、安全保障の抜本的改革や公的機関の健全化などの案は、結局全く実行されていません。

 ご出席の皆様、暴力を封じ込むには、国の発展や持続的平和、そしてあらゆる人々のための人権なども、実現されなければなりません。そして、我々の世界で最も破壊的な「道具」は、実は、苦しんでいる人々に対する「無関心」なのです。だが実は、我々は皆、共通の人間性に関わっているだけでなく、国際的な交流や貿易、企業が戦略的に確保する鉱物資源などにも関わりを持っているのです。私はここで、日本に対して、次のことをお願いしたいと思います。それはコンゴ東部で起きている25歳以下の少女たちや女性たちの、いわば「体」に対して行われている戦争に終止符を打つために、あらゆる新しいテクノロジーに使用される鉱物資源の取得方法が正しいか否か監視して欲しいということです。

 私は次のような世界を夢見るのです。そこでは、それぞれの人が尊重されていると感じ、自分の生きる場所を見つけることができ、協力が競争を生み出し、開かれた多国間主義と対話が、ナショナリズムや自国だけの利益を重視するやり方に打ち勝つのです。さらには、この理想の世界では、国家は、その予算を大量破壊兵器購入に使う代わりに、教育や健康、国民全員の基本的な要求に応えるために使うのです。

 平和を追求することは、それが可能であるというだけではなく、(世界中の人々の)集団的自殺や人類の終末、地球の崩壊へと盲目的に突き進まないための唯一の方法だということです。戦争のない世界を作り出すことは、恐らくできないのではないかとも思います。それほど我々は無知ではないからです。しかし、一緒に理想の世界を夢見ようではありませんか。一緒に前に進もうではありませんか。一般市民、政治的責任者、民間団体、メディア、皆が一緒になって核兵器、生物兵器、化学兵器のない世界を、そして戦争の兵器としての性暴力のない世界を作ろうではありませんか。人類の尊厳とすべての人々の平等、すべての人々にとっての自由を信じて前に進もうではありませんか。国と国の間に、そしてそれぞれの国の中に、平和を築く以外に方法はないということを歴史は十分に教えてきました。より良い世界、より平和な世界を築くために共に立ち上がろうではありませんか。それは今、我々の手に委ねられているのです。ご静聴ありがとうございました。

聴衆の皆様からの質問とムクウェゲ氏の返答

 ムクウェゲ氏のスピーチに感謝いたします。さて、これから皆様からの質問を受けたいと思います。たくさんの質問があるかと思いますが、それらはフランス語に翻訳されるため、質問は短くお願いいたします。

 (質問)こうした犯罪をはたらいた人とは、一体誰なのでしょうか?

 (ムクウェゲ)ご質問をありがとうございます。皆様には、ぜひ国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のサイトを覗いていただきたいと思います。そのサイトを開いたら、「Mapping Report République Démocratique du Congo (コンゴ民主共和国についての報告書)」と入れてみてください。そうすると、そこに私がスピーチの中で話したことが書かれています。今日は、広島に来てスピーチができて本当に幸いだったと思っているのです。というのも、記憶に関する仕事をしなければならないと、それも、皆さんが広島で行われているように正しい方法でやらなければならないと、私に思い出させてくれたからです。そうすることでのみ、「同じことを繰り返さない」ということを訴えることができるのですから。

 先ほど述べた報告書の中にはこう書かれています。病人たちは、ベッドの上で口に銃を入れられて殺されたと。家族がそばで見ている中で、女性たちは生きながらにして穴に埋められたと。人々は教会に集められ、その後教会に火が放たれたと。こういう事実が、調査を行なった国連の特別報告者によって記述されています。

 私が、我々の人間性の観点から恥ずかしいと感じることは、こうした(重大な)報告書が、単に保管するだけの目的で机の引き出しに入れられたことです。こうした犯罪を犯した人の名前も、どこで犯罪が行われた場所も、どのように犯したかというやり方も、すべて報告書には記載されているのです。ところが、こうした犯罪者の名前をリストから消そうという試みがされています。それは犯罪者を保護するためです。こうした犯罪者は20年もの間人を殺し続けている。何れにせよ、彼らは守られているから平気なのですが。

 つまりは、犯罪者は知られているのに、いくつかの国がその名前を犯罪者リストから消すよう要求しているのです。日本は安全保障理事会の非常任理事国を何度も務めているのですから、他の国々に(犯罪者の名前を消さないように)プレッシャーをかけるようお願いいたします。なぜなら、日本は戦争と戦争の痛みを、十分に知っているのですから。昨日私は、原爆資料館で見た様々なものが頭に浮かんできて夜眠ることができませんでした。

 今後で我々は、こんなひどい出来事を体験したのに、世界は目を閉じようとしています。安全保障理事会を通して報告書が出たのです。しかし、その後、何も対策は立てられなかった。そして犯罪者は、この日、私が皆さんに話をしているこの日も人を殺し続けているのです。尋常ではありません。安全保障理事会が、こうした犯罪者に対して責任を取るべきです。こうした犯罪者は、こうした動きを指揮した犯罪者は、よく知られているのです。しかし、こうした犯罪者を追求するには、専門家による裁判が開かれなければならない。それは安全保障理事会のレベルでのみ決定できるのです。

 (質問)つまりは、犯罪者の名前は国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の報告書から削除されたのですか?

 (ムクウェゲ)そうです。報告書から。だから市民社会は、これら犯罪者の名前が公表されるよう要求しなければなりません。なぜなら、こうした犯罪者が誰かを、皆わかっており、それなのに犠牲者は虐待者と一緒に日々を送り、虐待者は20年も経つのに同じように殺人を続けているのです。

 (質問)私の質問は紛争に関してです。本を読んだり、テレビを見たりしたのですが、紛争の構造がもう一つよく理解できません。それは民族間の紛争でしょうか?それとも部族間の紛争か、それとも国家間の紛争か、それともあなたがおっしゃったように鉱物資源をめぐる紛争でしょうか?

 (ムクウェゲ)これは、民族間の紛争でないことは確かです。民族を超えています。一つの地域全体にいくつかの民族グループや対立するグループが混在しているため、民族間の紛争ではありません。ときに、指揮を取るものたちが民族間の紛争に持ちこもうとすることはありますが。しかしうまくいきません。なぜなら、指揮を取るものたちは結局、(自分の属する)民族のために戦ってはいないからです。

 第二に、これは、自分の信念に従って革命を起こそうとする者たちの間の紛争でもありません。現在の状況では、これはこの地域への「他国の侵入」なのです。九つの国がコンゴの中に侵入しており、ときにはこれら侵入国の間で戦いが行われます。例えば、ダイアモンドが豊富なキサンガニの街の支配権を巡って彼らは戦いました。ウガンダとルワンダは、コンゴ国内で衝突し、何千人もの死者を出しながら、ほぼ全ての街を破壊しました。そして今世紀に入り、こうした外国の軍隊が去った後でも武装部隊はいくつも残り、彼らが、きちんと境界線が引かれた様々な地域を支配しているのです。

 そして我々の病院で、性的暴力の犠牲者の出身地域を示した地図と、鉱物資源が豊富な地域を示した地図を重ねてみると、鉱物資源のあるところ、特にコルタンが豊富にあるところで紛争が起きていることが判明しました。コンゴの調査によると、鉱石コルタンに含まれる希少金属タンタルの世界生産量の8割がコンゴで生産されています。ところがタンタルは、隣国、特にルワンダから輸出されているのです。そして、武装グループは不法にこうした鉱物資源を開発し、国の軍部の上層部との共犯によって、税金を払うことなく輸出している。実際、鉱物は国境を超えて運ばれ、鉱物の存在しない国から輸出されているのですから。

 よって、これは略奪の戦争であり、経済戦争なのです。この点については、東京大学公共政策大学院特任助教の華井和代さんが意見を述べてくれるのではないでしょうか。非常に素晴らしい本を出版しています。

 (質問)ここで、第二次対戦中に日本によって行われた性的犯罪についてムクウェゲ氏に質問させてください。それは、中国、韓国、台湾において、日本軍が女性に対して行なった強姦です。日本政府に対して、現在でも賠償を求めている女性もいます。こうした女性たちの歴史に対して、日本政府はどのような解決を探ればいいとお考えですか?

 (ムクウェゲ)私の講演の中で述べたことですが、競争やより厳格な法律で解決を探るというより、交渉と対話に頼るべきだと思います。私は、この問題の解決を語り合うのに十分な「政治的成熟さ」を日本も、韓国も持っていると思います。実際、交渉と対話を行なおうとする姿勢によってのみ、解決が見つかるのだと思います。

 (質問)ムクウェゲ氏は、人権と持続的発展についても言及されました。実際、私は、コンゴ東部におけるコーヒー生産の持続的発展について研究を行いました。調査しながらわかったのは、生産地を管理している武装グループのせいで、生産されたコーヒーの輸送が非常に困難だということです。南キヴ州のことなのですが。私はここでたくさんのコーヒーが生産できると考えているのですが、実際には、この地域で農業従事者や農地の状況はどうなっているのでしょうか?

 (ムクウェゲ)あなたの研究の中で、この南キヴ州を取り上げていただきありがとうございます。心より感謝する理由は、講演の中で話したように、レイプ被害者を支援する「パンジー・ワン・センター」の四つの分野での取り組みの一つに、女性たちにコーヒー栽培をさせるというプロジェクトがあるからです。もし、コーヒー栽培で子供達の教育資金を賄い、子供達に十分食べさせることができ、さらには貧困から抜け出せるとしたら、素晴らしいことだと思っているからです。というのも、この地域のコーヒーは世界で一番美味しいコーヒーであると農林省が太鼓判を押しているのですから。

 大きな問題は、隣国やコンゴなどの国家間を移動して管理を行なっている武装グループの存在です。今日明白なのは、キンシャサの指揮官か、あるいは国の軍部のある将軍が、ほぼ全ての武装グループを所有し、自分たちの国民に対して支配を続けているということです。ないしは、こうした武装グループのトップが大臣であったり、国会議員であったりするのです。彼らは自分の軍隊を持っているわけです。こうした事実を知ると、再び私は「正義」ということを問題にしたくなります。つまりは、こうしたトップの人々が自分たちの経済的利益のために軍隊を所有しているであれば、国の資源は決して正しく利用されないということです。

 私が働いている地域では、前に述べたように、母親たちは畑に行くことができません。なぜなら、彼女たちが畑にたどり着くや否や、森に連れて行かれてレイプされたりするからです。しかしながら、彼らに対し戦わなければならないと考えます。なぜなら、我々は兵器を売っている将軍たちを知っているし、ミサイルを売っている将軍たちを知っているからです。武装グループに命令を発する政治家たちを知っているからです。ここで私は、解決には「国家の発展」が重要であるとも思うのです。まとめると、国家の発展がなければ解決はなく、正義がなければ平和はありません。

 (司会者)まだたくさん質問があると思いますが、時間がありません。よってここで、閉会にさせてください。

 (主催団体のANT-Hiroshima)ムクウェゲさん、広島に来ていただいて本当にありがとうございました。実は私は、ムクウェゲさんと広島の街を歩くというアイデアを得て、一緒に被爆者の方々に会い、一緒に原爆資料館を訪れました。私が感じたのは、ムクウェゲさんが、心から広島の悲劇を感じ取り、広島が何であるのかを理解してくださったということです。そしてこうおっしゃいました。「あなたたちのメッセージを伝えていかなければなりません。被爆者のための大使になるのです」と。心から、感謝の念を捧げたいと思います。

 そして今日、私たちはしっかりと目を開き、自分の耳でコンゴで起きていることを聞きました。そして、コンゴでのできごとと、それを超えてアフリカで起きていること、世界中で起きていることについて考えさせられたのです。世界で紛争のある場所で、人々はどのように生きているのかを知ったのです。あなたの講演を聞いて、多くの思いにとらわれました。感じたことを言葉で言い表すことはできませんが、あなたが、1996年10月6日に起きた出来事以来、その出来事を話すのが今日までとても辛かったとおっしゃったときなどに感じた思いはとても強かったのです。

 しかし、今、あなたはここにいて、あなたの仕事を私たちと共有しようとなさっています。私にとっては、コンゴで今起きていることは、広島で起きたことと同じだと感じるのです。そして、広島の一市民として、世界で起きていることをもっと知りたいし、もっと考えたい。そして平和のために一緒に働きたいのです。

 今日の講演で、ムクウェゲさんは、将来広島が進んでいく道を示してくださったと感じるし、今日ここにいる出席者の一人一人がそのことを感じたのではないかと考えます。あなたは、希望を与えてくださいました。世界には、たくさんの絶望があります。しかし、光も存在するのです。今日、あなたが私たちに示してくださったように。この光を、私たちに共有させてくださったことに感謝いたします。

 (ムクウェゲ)一言だけ付け加えさせてください。今日の朝、彼女が広島で見せてくれた最後のもの、それは原爆に耐えて今も生きている一本の木でした。この木は耐えることができました。なぜなら根っこがあったからです。このことは、私にとって大きな教訓となりました。そこに、根っこがあるなら、それは我々の人間性にとって希望の源になるのだということです。大きな木々が今後も成長して耐えていくことを望んでいます。希望はあるのです。ご静聴ありがとうございました。

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