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連載・特集

マンハッタン計画 75年後の核超大国 <2> 原爆展の行方

歴史博物館 開催を模索

廃絶の訴え 展示巡り火種

 むき出しの岩肌が延々と続く台地を登り切ると突然、視界が開けて街並みが始まる。原爆開発の地、ニューメキシコ州ロスアラモス。その一角に立つ小さな平屋の建物は、マンハッタン計画を率いたレスリー・グローブス将軍の滞在先だったという。現在は地域の歴史博物館になっている。

 先住民の土地だった時代をはじめとする地域史を紹介する。原爆開発と被害について触れながら、「科学者は自らの仕事の利用のされ方にどんな責任を持つか」と見学者に問うコーナーもあった。「複雑な歴史を巡る多様な視点を提示する」場という。

 この博物館を巡って今年2月、被爆地にさざ波が立った。広島、長崎両市が原爆展を開く計画を進め始めたが、共催者となる博物館側から「2019年の開催はない」と連絡が届いた。

共催への関心

 どういうことなのか。博物館を運営するロスアラモス歴史協会を訪ね、代表のヘザー・マクリナンさん(51)に質問をぶつけた。「原爆展を正式決定したことはない。だから中止でもない」と険しい表情を見せた。「あくまで検討段階」

 原爆展の計画は16年10月に博物館側が共催への関心を示したのが端緒だっただけに、不可解さは残る。広島の原爆資料館には「開催費用に充てる助成金を申請しようとしたものの、間に合わなかった」とも説明していた。2月の時点で博物館長は辞任しており、組織内にきしみがあったこともうかがわせる。

 博物館関係者は明かす。「核軍縮・不拡散の問題を熟知する人が多い土地柄。核兵器廃絶の訴えだけでは非現実的だと反発を招く。博物館は地域住民の寄付金で成り立っていることもあり、理事会は懸念した」

開発の「本丸」

 米国、特に原爆開発の「本丸」ゆえのハードルは低くない。ただ「中止」ではないのは確かなようだ。「数カ月以内にはニューメキシコ州での開催について何らかの発表をしたい。目標は早くて21年」とマクリナンさん。展示スペースの関係で、会場はロスアラモスの外になる可能性があると示唆する。

 その場合でも被爆地として譲れない核兵器廃絶の訴えを、どう扱うのか。マクリナンさんは「核弾頭の解体方法などの具体策も提示しなければ、『夢物語だ』として納得されない」と断言する。「ロスアラモスが被爆地の声に耳を傾けるのと同じように、被爆地もロスアラモスに歩み寄ってほしい。戦争に勝つため自分たちなりの役割を担ったと考えている人たちであり、モンスターではない」

 原爆資料館は、どの国であっても開催で合意すれば連携できるとの姿勢だが、原爆展と並行した別の展示が米側によって準備される可能性すらある。

 前博物館長は中国新聞の取材依頼に「既に語る立場にはない」と返答した。ただ最近、被爆2世を含めた日米の有志に呼び掛けて市民団体を発足させた。草の根の歴史対話を続けるという。団体のホームページには原爆投下時の米大統領の孫で、被爆者との交流を続けるクリフトン・トルーマン・ダニエルさんの言葉を引用していた。

「広島と長崎の人々の苦しみと、第2次世界大戦の中で救われた命」。どう読み取ればいいのか。原爆観の溝を埋めるのは、時間のかかる作業である。(金崎由美)

ヒロシマ・ナガサキ原爆展
 広島、長崎両市の共催で被爆地と海外との核意識の溝を埋めようと始まった。米国のスミソニアン航空宇宙博物館で計画された原爆展が反対運動を受けて中止された後の1995年、市民主体の展示がアメリカン大で開かれて以来18カ国47都市で開催。原爆被害の実態や核兵器廃絶への訴えを紹介するパネル30枚と実物資料20点が基本的な展示のパッケージ。両市の主催以外にも在外邦人や海外の平和団体が、原爆資料館の協力を得て各国で原爆展を重ねている。

(2018年7月31日朝刊掲載)

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