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連載・特集

国際シンポ「平和への扉を開く―核兵器禁止条約と、これから」 詳報

核兵器禁止条約発効へ 共に歩む

登壇者

【基調講演者】
ティム・ライト氏 非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))条約コーディネーター

【パネリスト】
遠藤誠治氏 成蹊大法学部教授
鈴木達治郎氏 長崎大核兵器廃絶研究センター長・教授
孫賢鎮氏 広島市立大広島平和研究所准教授
金崎由美氏 中国新聞社ヒロシマ平和メディアセンター記者

【モデレーター】
直野章子氏 広島市立大広島平和研究所教授

【ヒロシマからの発言】
岡田恵美子氏 被爆者
瀬戸麻由氏 シンガー・ソングライター

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 広島市立大、中国新聞社、長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)主催の国際シンポジウム「平和への扉を開く―核兵器禁止条約と、これから」が22日、広島市中区の広島国際会議場で開かれた。採択から1年を迎えた核兵器禁止条約の発効や、米朝首脳会談を踏まえた朝鮮半島の非核化に向けて、被爆国日本とヒロシマ・ナガサキの役割の重さを再確認した。(桑島美帆、増田咲子、山本祐司、撮影・藤井康正)

◆基調講演

ICAN条約コーディネーター ティム・ライト氏

批准 増えていくと確信/首脳外交 新たな希望に

 2007年に核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)を始動した。都市を廃虚にし、一瞬で大量殺りくをする核兵器に「悪」の烙印(らくいん)を押し、核兵器の使用や核実験で、二度と苦しむ人が出ないよう、被爆者の声を広める決意をした。

 核兵器保有国の政府が核兵器について語るとき、意図的に抽象的な言葉を使い、単なる政治的手段であるかのように扱う。しかし、核兵器を保有し、他国を脅すことで安全保障は保たれず、むしろ脅かされる。全ての国々は、核兵器廃絶に向けて行動する権利と責任がある。

 昨年、国連で核兵器禁止条約が採択されてから今月初旬で1年を迎え、これまでに批准国を増やしてきた。しかし1周年を報じた日本のメディアの大半が「批准のペースが遅い」という論調だった。

 これは間違った印象を与える。化学兵器禁止条約や生物兵器禁止条約の批准も同程度のペースだったからだ。「遅い」という主張は核兵器保有国の論調と同じだ。条約が支持を得ていることを過小評価し、発効に向けたペースを鈍らせる。

 核兵器禁止条約は、発効できないだろうと批判する人がいる。しかし、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国の国会議員の多くが、条約の署名や批准に向けて行動することに賛同し、オーストラリアでは、最大野党の支持も正式に取り付けた。

 条約に署名しない日本政府の態度は、何十年も核戦争の恐ろしさを警告し、核兵器廃絶を訴えてきた被爆者を裏切っている。実際に、日本の核軍縮は口先だけで成果もない。条約は日米同盟を阻むものではない。ただ、日本は米国の「核の傘」を放棄するべきだ。

 ICANがノーベル平和賞を受賞した際、被爆者のサーロー節子さんがオスロで演説し「責任ある指導者なら必ずこの条約に署名する。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けるだろう」と述べた。ノーベル平和賞は、核兵器反対を訴えてきた世界中の何百万という運動家や市民、そして被爆者たちのたゆまぬ努力への贈り物だ。

 私は確信している。近い将来、大半の国々が条約に署名し、批准することを。どの国も核兵器が道徳的に嫌悪感を引き起こし、違法で、廃絶が急務なことを知っているからだ。そして、比類なき脅威を取り除くために全力を尽くすだろう。

 対話は核兵器廃絶への第一歩だ。南北首脳会談や米朝首脳会談は、古くから続く対立や核問題を乗り越えることができる、という新たな希望を与えた。われわれは、最後の核兵器が廃棄されるまで、歩み続ける。

 85年オーストラリア・メルボルン生まれ。子どもの頃から折り鶴作りを通し核問題に関心を持つ。メルボルン大時代の06年、ICAN創設に加わり、核兵器禁止条約の実現を目指し運動を始める。昨年12月、ノーベル平和賞授賞式に参列。現在は条約発効を呼び掛ける活動を世界規模で続ける。

核兵器禁止条約とは…

 核兵器の開発や保有、使用すると伝える威嚇なども含めて禁止する画期的な条約。2017年7月、米ニューヨークの国連本部であった制定交渉会議で、122カ国の賛成を得て採択された。前文で「ヒバクシャ」の文言を盛り込んだ。その「苦痛と危害に留意」して「目標達成への努力を認識」する、と。核兵器の非人道性を訴えてきた広島・長崎の被爆者らの思いを反映したといえる。

 条約は現に核兵器を持つ国にも間口を広げた。時間枠を設けて、核廃棄の計画を提出することなどを条件に参加を認める。しかし米国、ロシアをはじめ保有国は署名を拒む。被爆国日本をはじめ、保有国の同盟国も追従している。

 条約発効は50カ国が批准など必要な手続きを終えて90日後。既に約60カ国が署名し、13カ国(25日現在)が批准を終えた。米国による各国への圧力なども指摘されるが、ICANは「決して遅いペースではない」とみる。

ICANとは…

 2006年、オーストラリア・メルボルンに事務所を設け、翌年から正式に活動を始めた。1985年にノーベル平和賞を受けた核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の医師による提案がきっかけだった。

 核兵器を非人道兵器として国際法で禁止することを訴え、メンバーらが国連などで精力的にロビー活動した。各国で世論を呼び起こし、行政へ積極的に働き掛けた。被爆者らと訴えた活動の成果が2017年の核兵器禁止条約の制定につながり、ノーベル平和賞を受けた。活動を共にしたカナダ在住の被爆者サーロー節子さん(86)は授賞式で「核兵器禁止条約が光。核の恐怖という暗い夜から抜け出そう」と演説した。メンバーは各国に条約への署名、批准を呼び掛けている。

◆パネル討論

北朝鮮の非核化

鈴木氏 米中露の対応 鍵を握る

孫氏  目標を確認 実現なるか

 直野 北東アジアの国際関係を改善するにはどのようなアプローチをすべきだろうか。

 孫 6月の米朝首脳会談で「完全な非核化により、核のない朝鮮半島を実現する」という共同目標を確認したことは大きな意味を持つ。「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」をどう実現するかは、今後の課題だ。2016年以降、北朝鮮は、失敗も含め、ミサイル発射を60回以上続け、核実験も06年から6回行った。北朝鮮の核問題は現実的な脅威であり、国際社会の非難と制裁措置を受け深刻な状況だった。

 鈴木 3年前、RECNAが北東アジア非核兵器地帯を提案したときに「いい提案かもしれないが、北朝鮮問題がね…」とよく言われたが、朝鮮半島の非核化が実現するかもしれないということになった。北東アジア非核兵器地帯の重要なポイントは、韓国と北朝鮮、日本の3カ国の周辺にある米国、中国、ロシアという核保有国が、核兵器で攻撃しない、威嚇しないという保障を約束することだ。そうすれば「核の傘」から脱却できる。この地域の安全保障を議論する場も必要だ。

 遠藤 米国のトランプ大統領は問題もあるが、信頼関係の構築によって合意を得ようとした。賢明な判断だ。一方日本は、北朝鮮に圧力をかけることが重要だと考えてきた。北朝鮮や中国に対して抱えている不安が、米国の核抑止力や、自国の核兵器が必要だという声を支えている。

 核抑止力による安全保障は核拡散を生む。脅しをかけても北朝鮮は核兵器を放棄しないだろう。長い時間をかけて相互間の信頼を築くことこそ求められる。

 ライト 朝鮮半島の非武装地帯を訪れた時、鳥の群れが自由に上空を飛び回っていた。いつか両国の人々が鳥のように、自由にこの地域を行き来できるようになることを願う。鍵は、一般市民がつながる機会をつくること。首脳同士だけでなく、人々がつながり、議論を続ければ、核軍縮が進むのではないか。

条約のこれから

遠藤氏  核廃絶へ一つの到達点

ライト氏 各国政府に訴え続けて

 直野 核兵器禁止条約は「核兵器が国家の安全を保障する」という考え方から「廃絶こそが人類の安全を保障する」という思考の転換を促した。発効に向けた今後の課題は。

 遠藤 核兵器禁止条約は、世界の多くの国々と人々が、核兵器には道義的な正当性がないことを確認し、核兵器廃絶が必要である理由を明確にした。廃絶に至る道の一つの到達点だ。

 金崎 核兵器の保有や使用を法的に全面禁止することは廃絶へのステップとして不可欠だが、原爆被害の実相は十分伝わっていない。究極の非人道兵器で自国を守ろうとする愚かさを、被爆体験から問い続けることの重要性が増している。被爆体験を継承し、核兵器廃絶を求める若い世代を増やす必要がある。

 孫 韓国も条約に参加していない。(政府を動かすには)市民社会やNGO、マスメディアの役割が重要だ。3者が、議会や国に働きかけ、機運を盛り上げていくことが大切だと思う。

 鈴木 地方自治体から声を上げることもできる。日本が条約に署名する前にできることはたくさんある。核被害者への支援は条約に書かれており、締約国会議にオブザーバーとして参加し、被爆者支援や軍縮不拡散教育をしてもいい。

 ライト ICANは条約発効に向け、各国政府と議論しながら批准へのプロセスを加速させている。核兵器がどんな惨状をもたらすのかを伝える啓発活動も重視し、金融機関には、核兵器を製造する企業への投資をやめるよう促す。

 核兵器がない世界は想像しにくく、ずっとあり続けると思いがちだ。だが、想像力を持ってほしい。そして(核保有国などに)プレッシャーを与え続けること。世界全人類一人一人が声を上げていくべき問題だ。

被爆地の役割

直野氏 被爆者からバトン継ぐ

金崎氏 世界の被害者と連携を

 直野 戦争被爆国である日本とヒロシマの役割は。

 鈴木 日本の核政策には矛盾した三つの要素がある。「唯一の被爆国」として核兵器廃絶を外交の究極目標とする一方、核抑止力に依存した日米同盟に深く頼っている。さらに現政府は「核抑止力を強化してほしい」とトランプ政権に明確に要請している。核抑止力に依存することがいかに危険か議論するべきだ。

 また日本は、原子力の平和利用で、再処理して回収したプルトニウムを47トンも抱えており、「潜在的な核抑止力になる」と北東アジアでは懸念されている。国際協力でプルトニウムを減らすことや、合理性のないプルトニウムの再処理は行わない国際規範をつくることなどが必要だ。

 遠藤 日本は核廃絶を唱えながら核兵器禁止条約に参加しておらず、それを批判する声も十分強くない。いつの間にか、戦争遂行能力の向上が図られ、随分立ち遅れた場所にいる。

 孫 韓国には約3万人の脱北者がいるといわれるが、彼らの証言によると、朝鮮半島の核実験場がある豊渓里(プンゲリ)では、地域住民が被曝(ひばく)していると聞く。周辺の環境汚染も深刻だ。北朝鮮の被爆者問題や環境問題をヒロシマから発信することも大事だと思う。

 金崎 世界には、核実験が行われた場所で、深刻な被害を受けている人がいる。ヒロシマとナガサキはそういう人たちともっと連帯し、声に出して行動することが大切だ。被爆者の高齢化が進む中、今後、若い世代が、具体的に世界の核被害者と、どうつながるかも考えなければならない。

 遠藤 世界各国の核実験場周辺のヒバクシャたちと連帯することはもちろんだが「紛争全体をなくし、武力によって脅かされずに生活できる状態を目指すことが被爆者の考え方」と発信するべきだろう。

 直野 被爆者は地獄の苦しみを誰にも味わってほしくないとの思いで立ち上がり、自らの生存と人類の生存を懸けて闘い続けた。核兵器も戦争もない平和な世界の実現を諦めず、先頭に立ち続けた。今度は私たちがバトンを受け継ぎ、平和なうちに生存する権利を行使する時だ。

 ライト 日本で必要なのは、核兵器廃絶の議論の範囲を広げること。専門家だけでなく、被爆者や医師、子どもや教員などあらゆる人々の声を集めることができれば、核兵器を必要とする保守的な人の考えを変えられる。広島市長が原爆の日に読み上げる平和宣言に、核兵器禁止条約の批准を日本政府に強く求める文言を入れてほしい。

すずき・たつじろう
 51年大阪府生まれ。米マサチューセッツ工科大修士課程修了。工学博士。内閣府原子力委員会委員長代理などを経て、15年より現職。パグウォッシュ会議評議員も務める。専門は原子力政策、科学技術社会論。

えんどう・せいじ
 62年滋賀県生まれ。東京大大学院法学政治学研究科修士課程修了。東京大法学部助手、成蹊大法学部専任講師を経て、01年より現職。日本平和学会会長など歴任。専門は国際政治学・平和研究。

ソン・ヒョンジン
 71年韓国・釜山市生まれ。神戸大大学院法学研究科博士課程修了。北朝鮮の人権・拉致問題を取り扱う韓国統一部事務官や、韓国法制研究院の研究員を経て、14年から現職。専門は国際法、北朝鮮問題。

なおの・あきこ
 72年生まれ、兵庫県出身。米アメリカン大卒。95年の同大原爆展開催に尽力。02年にカリフォルニア大サンタクルーズ校で社会博士号。「原爆の絵」研究でも知られる。九州大大学院准教授を経て、16年から現職。

かなざき・ゆみ
 70年生まれ、北海道出身。北海道大法学部卒。95年中国新聞社入社。主に原爆・平和報道を担当し、在日米軍再編問題や10年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議など取材。17年科学ジャーナリスト大賞を共同受賞。

◆ヒロシマからの発言

自宅で被爆 今も不安抱えたまま

岡田恵美子氏(81)=広島市東区

 国民学校3年だった8歳の時、爆心地から約2・8キロ離れた広島市尾長町(現東区)の自宅で被爆した。その後、あまりに体が疲れ横になる日々を送った。強烈な苦しみ、悲しみ、怨念…。子や孫への遺伝も心配しながら生きている。そんな不安を抱えたまま、被爆者は減少している。

 家族が帰ってこない家庭を想像してほしい。当時広島県立広島第一高等女学校(現皆実高)1年の姉はあの日、「行ってきます」と建物疎開作業に出たっきり。12歳だった。両親は毎日捜し歩いたが、手掛かりはなく骨さえ見つからない。今も、墓に名前があるだけだ。

 核軍縮ではなく、核廃絶を。核を持つのは恥ずかしいことだ。被爆者は暑くても最後の力を振り絞り訴えているが、年を取り過ぎた。8月6日に安倍晋三首相が広島に来るのなら、原爆慰霊碑の前で核兵器禁止条約に署名することを宣言してほしい。

平和への願い 歌で発信

瀬戸麻由氏(27)=呉市

 2011年からNGOピースボート(東京)の活動に加わり、13年に被爆者と証言しながら世界を巡る航海へ出た。呉市出身で祖母は被爆者。頭で「核兵器も戦争も駄目」と分かっていたが、航海中に被爆者の体験を改めて聞き、「現実に起きたこと」と肌で感じた。

 この感覚を人に伝えたい―。被爆していない自分がなぜそこまで思い込むのか考えた時、「私もこの恐ろしい兵器をなくしたいんだ」と気付いた。この感覚は、年齢や国境を超えて世界共通になるのでは。

 昔ではなく、今生きている世界で実際に起き、今後も起こり得ることだと気付いてほしい。

(2018年7月30日朝刊掲載)

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