黒い雨を浴びたシャツ
18年6月25日
あの日の痕跡 科学が立証 16歳の少女 残った染み
今も染みがはっきり分かるシャツ=2012年、松宮豊子さんが原爆資料館に寄贈(撮影・高橋洋史)
16歳で原爆に遭った少女は、逃げる途中で「黒い雨」を浴びた。あの日着ていた体操シャツに黒っぽい染みが残った。洗濯板で何度洗っても落ちなかったという。セシウム137-。70年以上の時を経た科学調査で、わずかながら検出された放射性物質である。
広島大名誉教授の静間清さん(69)=放射線物理学=は原爆投下後に降った黒い雨に含まれる放射性降下物(フォールアウト)の解明に取り組んできた。
原爆資料館の収蔵庫には黒い雨の痕跡をとどめる被爆資料が幾つもある。静間さんが衣類4点について許可を得て、広島大で測定したのは2016年のことだ。この体操シャツのほかセーラー服、焼け焦げたシャツ、ふんどし。現在の広島市中区や西区で黒い雨を浴びたとみられ、全てから微量のセシウム137を確認した。
体操シャツの持ち主は三原市にいる。松宮(旧姓久保田)豊子さん(89)。爆心地から約1・3キロ、東観音町(現西区)にあった西高等女学校(原爆で廃校)専攻科に在籍していて校舎2階で被爆した。建物の下敷きになり、けがをして脱出したが、近くで黒い雨に遭った。命は助かったが体がだるく、貧血と発熱もあって寝込んだという。
原爆投下の後には市街地はもちろん、広範囲で放射性降下物を含む雨が降り注いだとみられる。その範囲や人体影響を巡る議論は今なお続いている。
静間さんは所属する原爆資料館資料調査研究会で測定結果を報告し、紀要に論文を掲載した。祖父を原爆で亡くし、父も入市被爆者だ。「いまだ解明されていない事実をできる限り、明らかにしていきたい」と語る。(増田咲子)
(2018年6月25日朝刊掲載)