幻の「原爆堂」構想知って 建築家・故白井氏 東京で資料展
18年6月6日
1954年の米国による太平洋・ビキニ環礁での水爆実験などを機に、建築家の故白井晟一(せいいち)氏(1905~83年)が構想した「原爆堂」の資料の展示会が5日、東京都港区南青山のギャラリー「5610」で始まった。建設実現を目指す有志でつくる委員会の主催。30日まで。
原爆堂は、原子力をテーマに地上と地下からなる施設。白井氏は大きさや建設場所を明示していない。会場には、白井氏が作製した設計図や完成予想図、建設理念を記したパンフレットなど9点を展示。設計図などに基づく完成予想のCG映像も見ることができる。
2011年の東京電力福島第1原発事故の後、白井氏の次男で建築家の昱磨(いくま)氏(74)たちが原爆堂の建設を目指す委員会を結成。多くの人に構想を知ってもらおうと展示会を企画した。会場を訪れた横浜市の建築士秋山元治さん(40)は「装飾を排した設計で、核に対する白井氏の悲しみのようなものを感じた」と話していた。(野崎建一郎)
(2018年6月6日朝刊掲載)
原爆堂は、原子力をテーマに地上と地下からなる施設。白井氏は大きさや建設場所を明示していない。会場には、白井氏が作製した設計図や完成予想図、建設理念を記したパンフレットなど9点を展示。設計図などに基づく完成予想のCG映像も見ることができる。
2011年の東京電力福島第1原発事故の後、白井氏の次男で建築家の昱磨(いくま)氏(74)たちが原爆堂の建設を目指す委員会を結成。多くの人に構想を知ってもらおうと展示会を企画した。会場を訪れた横浜市の建築士秋山元治さん(40)は「装飾を排した設計で、核に対する白井氏の悲しみのようなものを感じた」と話していた。(野崎建一郎)
(2018年6月6日朝刊掲載)