[つなぐ] 平和学研究者 ドゥロー・アーゴタさん=ハンガリー出身
17年10月30日
在韓被爆者支援に学ぶ
修学旅行生が行き交う平和記念公園。韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前に、ハンガリー出身のドゥロー・アーゴタさん(30)=広島市西区=が寄り添うように立った。
広島市立大大学院で3年間、平和学を専攻し、9月に博士号を取得したばかりだ。テーマは1970~80年代に被爆地をはじめ、日本国内で広がった在韓被爆者を支援する市民運動である。
これまでに英語の文献はほとんど出ていない。約400ページに及ぶ英文の博士論文のために、さまざまな人から聞き取りを重ねて市民目線に徹した。「日韓関係には日本植民地時代から続く感情的な対立がある。しかし草の根レベルの支援は、韓国の被爆者との和解に大きく貢献した」という結論に至った。
ハンガリー東部のデブレツェン市で、鉄工所を営む父と会計士の母の間に生まれた。60歳前後の両親は学齢期を社会主義体制下で過ごし、大学進学を断念した。「両親は自分がかなわなかった教育環境を私と姉に提供してくれた」と感じている。国立デブレツェン大に進学し、交換留学で2010年9月から1年間、弘前大に留学した。
戦争文学の課題で漫画「はだしのゲン」を読み、衝撃を受けたことがヒロシマと向き合うきっかけとなる。母国では「第2次世界大戦を終わらせた」としか習わなかった原爆投下。しかし主人公のゲンは、目の前で親やきょうだいが焼け死に、もがき苦しみながら、必死で生き続けた。
「もし子どものころに戦争が起こり、自分が同じような経験をしたら、どういう人生になっているだろう」。帰国後には「日本の視点からみた原爆投下」をテーマに修士論文を書き上げ、さらに研究を深めようと文部科学省の奨学金を得て再来日し、14年に広島市立大大学院に進学した。
そして仕上げた論文では原爆症の治療を求めて70年に日本へ密入国した故孫振斗(ソン・ジンドウ)さんの裁判を取り上げ、在韓被爆者支援の歩みをたどった。私費を投じて治療に当たった医師・故河村虎太郎さんや強制連行された徴用工を調査した故深川宗俊さんらも紹介した。
研究は、被爆地の人たちからサポートを受けた。70年代から在韓被爆者の支援に携わってきた豊永恵三郎さん(81)=安芸区=は「短期間で、よくここまでまとめた。民族を超えて支援の輪が広がったわれわれの活動を海外の人に知ってもらう機会になれば」と期待を寄せる。
博士号の取得と同時に大学院生活を終えた。これからも広島にとどまることを決めている。英会話講師として生計を立てながら、南米や台湾など在外被爆者支援に関する研究を広げていくつもりだ。
「平和は当たり前のことではない。市民レベルの交流が、国と国との友好関係を育む」。そのことを伝えていくために、日本の大学で平和学の教員になるのを目標としている。(桑島美帆)
(2017年10月30日朝刊掲載)