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社説・コラム

『論』 被爆者二人の死 非人道性 伝え続けねば

■論説委員 森田裕美

 この10日余り、胸がかき乱されている。長崎で被爆者として反核運動をけん引してきた二人が相次いでこの世を去ったためだ。

 一人は、原爆の熱線で一瞬にして焼かれた真っ赤な背中の写真を示し、国内外で核兵器の残虐性を訴え続けた谷口稜曄(すみてる)さん。もう一人は自らの被爆体験を基に、理論的に核兵器廃絶の意義を伝え、運動の精神的支柱であり続けた元長崎大学長の土山秀夫さんである。

 歳月とともに被爆者との別れが訪れるのは、致し方ないのかもしれない。ただここにきていよいよ現実を突きつけられた気がする。原爆が生身の人間にもたらした痛みや苦しみを証言できる人は本当にいなくなってしまうのだと。

 今年に入って「象徴」ともいうべき被爆者の訃報が続く。被爆者医療に尽くした日本被団協顧問肥田舜太郎さん、体験に根ざした作品を書き続けた芥川賞作家林京子さん、米国で証言活動を続けた据石和さん、広島壊滅の第一報を発した体験を、若い世代に語り続けた岡ヨシエさん…。

 追い打ちを掛けるように、北朝鮮はミサイル発射や核実験を繰り返し、核超大国米国は軽い言葉で武力行使をにおわせながら挑発を続ける。核使用の危機はいつになく高まっている。

 朝鮮半島情勢が緊迫する中で相次ぐ被爆者の死はより重く感じられ、どうしようもない焦燥感に駆られる。米国と北朝鮮のリーダーが核を手に重ねる言葉の応酬にしても、72年前に広島と長崎で奪われた無数の命や生き地獄、今なお続く被爆者の苦しみを知れば、考えられないことだろう。

 「核兵器は人間と共存できません」「核兵器を持つこと、持とうとすること自体が反人間的です」。いずれも国際会議などの場で、谷口さんが自らの裸の写真を手に発した言葉だ。体に刻まれた傷痕をさらすことで、原爆投下の愚かしさを暴く訴えには、強いインパクトと説得力があった。

 一方の土山さんも被爆の惨状を知る立場から、核兵器廃絶が被爆地だけでなく、全人類的な問題である点を説き続けた。「被爆体験を広めるには、理屈だけでも情だけでも不十分。車の両輪として発信することが肝心」とも。長崎で被爆2世として運動に携わり、二人を仰いできた平野伸人さん(70)は「一つの時代が終わったよう。ぼうぜんとしている」と明かす。

 なぜ核兵器を禁止しなければならないのか。世界に告発してきた被爆者の訃報が、再び核軍拡への「潮目」となることを、私は何より恐れている。

 7月に国連で核兵器禁止条約が採択されたとき、「(廃絶に向けて)潮目が変わる」と多くの人が喜ぶのを聞いた。使用はもちろん開発や実験、保有も威嚇も明確に禁じる国際的な法規範である。

 「全廃こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法」。そう掲げた前文は、今なお核抑止力に依存する核保有国や「核の傘」の下にいる国々に大きな打撃を与えるだろう。背を向ける国があるとはいえ、廃絶を求め続けてきた被爆地にとっては悲願といえる。

 条約が採択に至ったのは間違いなく、谷口さんをはじめ被爆者たちの訴えで、国際社会が核兵器の非人道性をより重要視するようになった結果だろう。

 半面、条約に後ろ向きな国々の為政者たちには、核兵器が自分と同じ人間の心身にどれだけ深い傷を負わせる兵器であるのか、理解が及んでいない現実があるのではないか。あるいは、あえて目をそらしているのだろうか。

 「見せ物ではない。でも私の姿を見てしまったあなたたちはどうか目をそらさないで、もう一度見てほしい」。2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で演説した谷口さんの言葉である。土山さんはこんな至言も残す。「無念の思いでこの世を去った多くの被爆者に代わって物を言う義務が被爆地にはある」

 声を聞き、見てしまった私たちはそれを次の誰かに伝えなければいけない。被爆者の痛みにいかに近づき、リアルに伝えられるか。残された宿題は重い。

(2017年9月7日朝刊掲載)

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