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社説・コラム

『今を読む』 福島大准教授・後藤忍 

福島のメモリアル博物館 市民の視点 欠かせない

 歴史上の悲惨な事件を記録し、未来に教訓を伝えるための施設は「メモリアル博物館」と呼ばれる。広島市の原爆資料館や熊本県水俣市の市立水俣病資料館、原子力発電所の事故に見舞われたウクライナ・キエフ市の国立チェルノブイリ博物館などである。

 2011年3月に起きた東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故から6年になる。記憶の風化が指摘される一方で、福島県内でも「メモリアル博物館」の整備を目指す動きがある。

 16年7月、県環境創造センターの交流棟「コミュタン福島」が三春町に開館した。帰還困難区域が大半の双葉町でも、わずかにある避難指示解除準備区域で県がアーカイブ(記録庫)拠点施設を20年ごろに整備する構想を進める。

 「人災」に関するこれらの施設で重要なのは、加害者の責任と被害者にとっての教訓が記録されているかという点である。とりわけ福島第1原発のように、国や県にも加害責任の一端がある事故については、彼らが整備する公的施設で加害、被害の両面が記録されるかどうか、市民のチェックが欠かせない。

 県が開設予定のアーカイブ拠点施設については、有識者の参画の下、15年に施設の機能や内容に関する報告書をまとめ、16年度には基本構想の策定作業を進めている。報告書や会議資料を見る限り、原発事故への対応を巡る県の問題点や、国策の中で原発推進に関わったその責任については明示的に言及していない。

 既に開館した「コミュタン福島」は、国から約200億円の予算を得て整備している県環境創造センターの一つの施設である。震災と原発事故の発生当時の様子や経過、放射線の科学的知識、環境の回復・創造の歩みなどを学べるようになっている。

 原発事故の悲惨さよりは、環境回復や復興への歩みに重点を置いた展示で、子どもたちが楽しめる展示の工夫、メッセージの発信が行われている。学校教育の一環として主に県内の小学生の見学先となっており、バスの借り上げ代の一部も県が補助する制度がある。開館半年のことし1月には、児童を中心に来館者が延べ4万人を数えた。

 県環境創造センターには国際原子力機関(IAEA)も関わっていることから、「コミュタン福島」は構想段階から、「原発の安全神話」に代わる新たな「放射線の安全神話」を広める拠点となるのではと懸念する声もあった。

 筆者も顧問として関わっている市民団体「フクシマ・アクション・プロジェクト」は、そのような施設とならないように求める意見書を県に提出し、粘り強い交渉を重ねてきた。しかし、結果として意見が反映された部分は限られている。

 「コミュタン福島」館内の展示説明文について、筆者はテキスト・マイニングという手法で分析した。単語や文節の出現する頻度、相関関係などが見えてくる。

 すると、原発事故への県の対応における問題点や教訓として、国会事故調査委員会などの報告書に多く表れた「ヨウ素剤」「SPEEDI」「オフサイトセンター」といったキーワード、放射線被曝(ひばく)に絡む避難指示区域や放射線管理区域などの基準については、ほとんど記述されていないことが明らかになった。

 「フクシマ・アクション・プロジェクト」は、アーカイブ拠点施設の整備内容についても交渉を始めている。

 市民の力で独自に「メモリアル博物館」を開設した例もある。13年5月に白河市で開館した原発災害情報センターである。福島第1原発の事故について市民が記録し、風化させないことを目的に内外から寄付を募って設立された。

 まだ、借用した資料の企画展が多く、独自の本格的な展示はこれからだが、貴重な資料も集まり始めた。筆者との共同研究も進みつつある。

 教訓を伝える「メモリアル博物館」は、言説を再生産する場でもある。福島での未曽有の人災について、加害者側に都合の良い言説が再生産されないよう、筆者も注視しなければ―と心している。

 72年大分市生まれ。大阪大大学院修了。博士(工学)。12年春、放射線と被曝を考える教材を福島大の教員仲間と作成。著書に「みんなで学ぶ放射線副読本」。専門は環境計画、環境システム工学。福島市在住。

(2017年3月7日朝刊掲載)

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