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社説・コラム

寄稿 真珠湾でのオバマ演説 広島市立大国際学部教授 井上泰浩 

原爆スルー 期待外れ 正当化の立場 今なお

 安倍晋三首相の米ハワイ真珠湾アリゾナ記念館での戦没者慰霊が昨年末、実現した。私の関心は、共に行われたオバマ米大統領の演説に向いていた。

 1945年8月、当時のトルーマン大統領は日本軍の真珠湾攻撃を引き合いに出して広島への原爆投下を正当化する演説をした。これは米政府の立場として今に至る。現職の米大統領として初めて広島を訪問し、そして今回、日本の首相を迎えて真珠湾を訪れたオバマ大統領が、真珠湾と広島の歴史的、政治的関係をどう語るのか。もしかするとトルーマン演説を見直すのではないかと期待していた。

 しかしオバマ大統領は、真珠湾と広島の関連性だけではなく、核兵器の問題すら取り上げなかった。オバマ演説は、日米の融和を訴えた91年のブッシュ(父)真珠湾演説の「完結編」と呼べる内容だった。

 自らが操縦する爆撃機を日本軍に撃墜された経験を持つブッシュ大統領は真珠湾攻撃50周年に当たるこの年、「日本に恨みは全くない」と日米の和解を訴えた。ただ、「皆さまの心の中にも恨みはないことを願います。今は非難をする時ではありません」と、米国民をなだめ、説得する言葉も忘れなかった。

 それから25年。オバマ演説では、融和を進めようという訴えはもはや聞かれなかった。日米は既に和解しており、今では世界で最も緊密な同盟国として友情を育む関係が強調された。ブッシュ演説が和解を訴え、このたびのオバマ演説は和解を実現し友情にまで発展させた日米関係と、両国による世界貢献を褒めたたえたといえる。

 オバマ大統領は、半年ほど前の広島での演説や、ノーベル平和賞受賞につながったプラハでの演説(2009年)で述べた核兵器使用について、今回は一切触れなかった。このことを、どう考えたらいいのだろうか。

 「日本が真珠湾攻撃を仕掛けたのだから、原爆を投下されても当然。しかも原爆投下は戦争終結を早め、日本人の命をも救った」。米国は、市民の無差別殺戮(さつりく)である原爆投下を正当化するために、軍事行動である真珠湾攻撃を持ち出す。

 これは、冒頭で触れたトルーマン大統領の「原爆を手にし、私たちは使いました。真珠湾を予告なしに攻撃した者に対して使ったのです」という演説による。

 この演説に加え、メディアを使った情報操作も進められていた。

 軍部は米主要紙ニューヨーク・タイムズのウィリアム・ローレンス記者と密約を交わし、原爆を称賛し正当化する記事の執筆を条件に、機密情報を提供し続けた。原爆の開発、実験、投下までを目撃し取材した記者はローレンスただ一人。彼の記事は全米の新聞に無料で提供され、米国民への影響力は絶大だった。

 一連の記事は、米ジャーナリズム最高峰の栄誉であるピュリツァー賞を受けた。彼はこう書いている。「(原爆で)悪魔が死んでいくことに哀れみや同情を感じるだろうか。真珠湾のことを思い起こせば、感じるはずはない」(1945年9月9日)。

 こうした考えを打ち破るには、大統領演説が大きな役割を果たすだろう。その期待は裏切られた。しかし一方で、真珠湾攻撃という軍事行動と、原爆による市民の無差別殺戮とを同列に扱うこと自体の問題もある。

 どちらがよかったのか、私は結論を出せずにいる。いずれにせよ、真珠湾攻撃が原爆投下を正当化する理由と結び付けられてしまう鎖を、いつかは断ち切らなければならないことは確かだ。(広島市立大国際学部教授)

(2017年1月12日朝刊掲載)

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