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社説・コラム

『今を読む』 広島市立大教授・井上泰浩 

真珠湾75年と首相訪問 生存兵士の思いにかなう

 ことしの12月8日で日本軍によるハワイ真珠湾攻撃は節目の75周年を迎える。日本の首相はこれまで誰も日米開戦の地を訪れていない。一方、原爆を投下した米国の現職大統領として初めて、オバマ氏が5月に広島を訪れた。次は日本の番という外交的相互主義以上に、首相の真珠湾訪問は歴史の区切りとなる。

 訪問を妨げるものはハワイにはない。なぜなら、真珠湾はかつての屈辱の地から、融和と平和の地に大転換しているからだ。日本の首相が責任を認めるかどうか、謝罪をすべきかどうかは、現地では問題ではなくなっている。

 「安倍首相の真珠湾訪問を心から歓迎します。誰も謝罪を望んではいません」

 攻撃を対岸で目撃し、迎え撃った兵士(生存兵士)と親交のあるジミー・リーさん(86)は語る。長年、生存兵士と共に真珠湾アリゾナ記念館でガイドを続けてきた。生存兵士も同じように考えているはずだという。戦艦アリゾナは大爆発を起こし乗組員1177人が犠牲になった。記念館はその上に立つ。

 私は2014年、生存兵士のハーブ・ウエザーマックスさん(99)、スターリング・カールさん(95)から聞き取りをした。

 「真珠湾攻撃に恨み? 全くない」「今は、融和、平和の象徴だ」。2人の答えは同じだった。オバマ氏が広島を訪問した後、日本の首相訪問についての意見を聞こうと試みたが、2人の体調が優れないため、かなわなかった。残された時間は少ない。

 米大統領の広島訪問実現には、日米両国に難題が立ちふさがっていた。戦勝国の米国には「戦争を仕掛けてきた国へ謝罪に行くのか」という政治的、国民感情的な反感があった。広島では無差別攻撃で14万人の市民が犠牲になり、今なお被爆者が後障害と闘い続けている事実は重く、謝罪を求める意見も根強かった。

 しかし、日本の首相の真珠湾訪問は違う。

 ハワイ王国を白人アメリカに奪われたハワイアンの人々にとって、かつて真珠湾は聖なる海だった。自分たちの国を消滅させ、聖なる海を軍事基地にしてしまった米国への攻撃に対して、日本が一矢報いたと受け止める人も少なからずいた。プランテーション労働者として抑圧されていた日系人や他のアジア系移民にも同じ考えの人がいた。

 真珠湾攻撃を目の当たりにしたホノルル市民は、ハワイアン、白人、アジア系といった人種、民族にかかわらず、日本軍が軍事施設以外は一切攻撃をしなかったことも同時に目撃している。もちろん奇襲攻撃も戦争も全く正当化できないが、このことは今も称賛と共に語り継がれている。

 白人層、そして若い世代はどう考えているのだろう。オバマ氏の卒業校であるプナホウ学園の教師を務めるイアン・アールさん(45)の祖父(故人)は、戦艦アリゾナの水兵で攻撃を生き延びた。

 「世界を変えた広島の原爆投下と比較すれば、真珠湾攻撃は小さなこと。しかも75年も前のことだから、謝罪のために訪問する必要はありません。安倍首相が来られれば日米友好の象徴的な意味があり、これで終わり―という区切りにもなります」。アールさんは「ほとんどの生徒は私と同じ意見です」ともいう。

 13年には「原爆の子の像」のモデル、佐々木禎子さんの折り鶴が真珠湾に展示された。15年8月15日には、米海軍も共催して新潟県長岡市の花火が真珠湾の夜空を彩った。長岡は真珠湾攻撃を立案した山本五十六の故郷だ。

 少女までもが犠牲になる原爆の残虐性と無差別性の象徴である「禎子の鶴」が、原爆投下が正当化される理由である「日本が仕掛けた」真珠湾に展示されたことは意義深い。そして当時最悪の軍事被害を受けた米海軍が、その屈辱の地、真珠湾で山本の故郷の花火を共に打ち上げたことは日米友好の証しといえよう。真珠湾が「融和と平和の地」に転換したことを、これほど物語るものはない。

 生存兵士の団体は高齢化を理由に、11年に解散した。今も生きている人たちの平均年齢は100歳前後だ。75周年にこだわる必要はないが、首相が迷っている時間はない。

 山口市生まれ。毎日新聞記者を経て米ミシガン州立大博士課程修了。07年から広島市立大国際学部教授。専門は政治とメディア、米ジャーナリズム、ネットと社会。13年4月から1年間、ハワイ大マノア校客員研究員。著書に「メディア・リテラシー」など。

(2016年11月29日朝刊掲載)

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