『記憶を受け継ぐ』 李鐘根さん―被爆と在日 二重の差別
16年11月7日
耐えるしか。母の涙が身に染みた
李鐘根(イ・ジョングン)さん(87)=広島市安佐南区
「二重の差別に苦しんだ」。李鐘根さん(87)は声を落とします。長い間、在日韓国人2世と被爆者の二つの立場を隠(かく)して生きてきました。しかし4年前、被爆証言をする世界一周の旅に出たのを機に、実名で体験を話すようになりました。自分が受けた差別がなくなるよう願いながら。
朝鮮半島出身の両親の元、島根県の匹見(現益田市)で生まれ、1、2歳ごろ広島県吉和村(現廿日市市)に引っ越しました。1939年に実施(じっし)された、日本式の名前にする創氏改名で「江川政市」と名乗るようになりました。
差別は身近にありました。国民学校(今の小学校)6年の時、近所の男性に「朝鮮人」と呼び付けられ、道端に立たされて小便をかけられました。学校でも女の子が泣いていると、同級生や先生から自分のせいにされました。「諦(あきら)めて耐(た)えるしかなかった」
その後、坂村(現広島県坂町)へ移り、横浜国民学校(現横浜小)高等科を卒業。広島鉄道局の機関区に就職しました。憧(あこが)れだった仕事でしたが、在日韓国人であることは隠していました。
被爆時は15歳。平良村(現廿日市市)の自宅から広島市東蟹屋町(現東区)の職場に出勤する途中でした。路面電車を降り、広島駅近くの荒神橋(爆心地から約1・8キロ)を渡り終えた時、黄色い光に包まれました。
目と耳、鼻を押さえて伏(ふ)せました。しばらくして顔を上げると辺りは真っ暗。明るくなるのを待って見回すと、足元に置いた弁当箱は約20メートル飛ばされ、制帽(せいぼう)、眼鏡は見当たりません。避難(ひなん)した橋の下で「あんた顔が赤いで」と言われ、初めて顔や首、手足のやけどに気付きました。
機関区に着くと、驚(おどろ)いた同僚(どうりょう)が、やけどした体に機関車用の真っ黒な油を塗(ぬ)ってくれました。痛くて涙(なみだ)が出たのを覚えています。防空壕(ごう)で休むなどした後、午後4時ごろ機関区を後にしました。
約16キロ歩き、午後10時ごろ帰宅しました。両親は、李さんを捜(さが)しに出ていて不在。1時間後に帰ってきた母は「アイゴ(ああ)!」。抱(だ)き合い、ともに泣きました。翌日昼すぎに父も戻(もど)りました。しかし、勤務先の陸軍被服支廠(ひふくししょう)(現南区)に近い宿舎に住んでいた姉は、今も見つかっていません。
やけどが癒えるまでの4カ月間は、死の恐怖(きょうふ)との闘(たたか)いでした。髪(かみ)が抜けないか引っ張って確かめる日々。首にうじもわきました。
ある日、母が「パルリチュオラ(早く死ね)」と嘆(なげ)きました。李さんを哀(あわ)れに思うあまりの言葉でした。自分の頬に落ちた母の涙。温かさが身に染みました。
ようやく復帰した職場では「原爆がうつる」と言われました。不快なうえ、在日韓国人の立場を隠す居づらさもあり、46年に機関区を辞めました。その後、リサイクル品の販売などをして生計を立てました。結婚後、3人の娘の父に。いつの間にか被爆のことは忘れていました。
2012年、世界を巡(めぐ)る航海に被爆者を招く企画(きかく)に選ばれ、船内や寄港地で被爆体験を話しました。「日本人以外も被爆した事実を知ってほしい」。初めて実名を名乗りました。
2度目となる14年の船旅も含めて、事故のあったチェルノブイリ原発(ウクライナ)や、ユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツ強制収容所跡(ポーランド)を見学。核の恐怖や差別がもたらす悲劇をあらためて感じました。「命はみな平等。戦争は愚(おろ)かなことで、悲しみしか残さない」。未来を若者に託(たく)します。(山本祐司)
私たち10代の感想
思いやりの大切さ実感
李さんのように外国人も被爆し、苦しんだことを忘れてはなりません。これまで頭の中では分かったつもりでしたが、なかなか現実感がわきませんでした。しかし今回初めて、日本人以外の被爆者に会って話を聴(き)き、想像以上の体験に驚きました。「他者」への目線や思いやりを持つ大切さを感じました。(中2目黒美貴)
加害の事実にも理解を
「原爆が落とされたから解放された」。李さんが韓国の親族から聞いたこの一言、僕も最初は理解できませんでした。無差別に人を殺し健康被害(ひがい)を長年残す原爆は「絶対悪」です。一方、日本の侵略(しんりゃく)に苦しんだ人々がいたのも事実です。核廃絶を世界で訴えるには、日本の加害の歴史も知らないといけないと気付きました。(高1上長者春一)
当時の実態 歴史に学ぶ
在日韓国人という視点を通して被爆体験を聴いたのは初めてです。当時の差別の実態に驚くとともに、現在でも、その差別がヘイトスピーチとして繰(く)り返されていることを悲しく思います。李さんは戦争や差別は何も生み出さないと強調しました。戦争や差別のない世界の実現には、歴史を学ぶことが必要です。(高3新本悠花)
(2016年11月7日朝刊掲載)