×

社説・コラム

『想』 水島朝穂 世界の「ヒロシマ通り」

 ロシアのボルゴグラード市(旧スターリングラード)に「ヒロシマ通り」がある。ドイツ・ボン大学に在外研究中の7月に現地を訪れた。実は、ベルリンにも「ヒロシマ通り」がある。それを推進した市民の話を1991年5月29日付の本紙で紹介し、94年には『ベルリン・ヒロシマ通り』を中国新聞社から出版した。その関係から、ロシアの「ヒロシマ通り」にも注目していた。

 この通りは、以前はスビルスカヤ通り、その前はプリアズョールナヤ通り(湖岸通り)だった。約650メートル。中央分離帯にある碑には、「この通りは姉妹都市広島にちなんで名付けられた。1987年5月」という文と、平和の鐘が描かれている。

 市役所にアポなし取材を試みた。広島大の元助教授だというと、市の公用車が迎えにきて、国際・地域間交流局のある庁舎に連れて行かれた。ラプシノフ局長と担当職員のデーエワさんが出迎えてくれた。「姉妹都市の関係にある都市にちなんだ名前の通りが市内にはいくつもあります。コベントリー(英国)通りやリエージュ(ベルギー)通りなどです。広島市とは72年に姉妹都市協定に調印し、その15周年を記念して『ヒロシマ通り』が誕生しました。広島は70年草木も生えないと言われていましたが、その後急速に発展。当市も市街地の96%が破壊されましたが、その後復活を遂げました」と局長は語った。

 この街を巡る戦闘は「史上最大の市街戦」といわれ、ドイツ軍約85万人、ソ連軍約120万人が死んだ。20万人以上の市民の命も失われている。

 毎年、8月6日には追悼のセレモニーが行われ、広島市特別名誉市民のスタロバトフ元市長も参加しているという。この元市長は「広島は根こそぎ破壊されました。ボルガ河畔のわが町も8月に破壊されました。年は異なるし、一発ではなく、多くの爆弾によって破壊されたという違いはありますが」と地元誌で述べている。なお、デーエワさんによれば、通りに対する市民の認知度は高いという。(早稲田大教授)

(2016年9月28日セレクト掲載)

年別アーカイブ