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社説・コラム

『潮流』 「平和」を捉え直す

■論説委員・田原直樹

 幼い頃、お盆には祖父母の家に親類が集まった。ある時、墓所の小さな墓について問うと、戦時中に若くして死んだ叔父叔母だという。40年ほど前、戦争のむごさを語って聞かせる大人がいた。その話に震え、平和な世に感謝して手を合わせた。

 原爆の日が過ぎ、あさっては終戦の日を迎える。夏は、平和が大事という思いを新たにする季節だろう。

 でも、現代日本で平和という言葉を見聞きすると、どこか気恥ずかしい―。そんな記述が1年前、オピニオン面「言」で取り上げた歴史社会学者、山本昭宏さんの新著「教養としての戦後<平和論>」にあった。

 30代の山本さんは考える。平和とは何かと、いま問うても「何となく良い言葉」であるため、深く議論されない。平和の議論が熱かった1960年ごろまでと、自分が生きてきた時代とで、何が違うのか。

 そんな問題意識から、「平和」が戦後どう広まり、変質してきたかを新著でたどる。平和が大事と、マスコミは叫ぶが、表面的になってはいないか。そう問われた気もした。

 では戦後71年、戦争体験者が減る今、戦争の恐ろしさや平和をどう捉え直せばいいのだろうか。

 はつかいち美術ギャラリーで開催中の後藤靖香さんの作品展に、ヒントを見た気がする。

 軍隊生活の一こまを、墨で劇画調に描いた絵には、若者を追い詰める時代の空気が充満する。恐怖や諦めの浮かぶ表情が息苦しさを訴える。

 広島県北広島町に住む30代の気鋭の画家は、特攻隊に所属した祖父や戦地で餓死した大叔父ら親族の体験を題材にする。調査や取材も入念にして絵筆を振るう。体験者とじっくり「対話」し、「想像」するから、作品に訴求力があるのに違いない。

 薄れ、消えゆく戦争体験を聞き、思いをはせる。そう努めて初めて、平和がはっきり分かるのだろう。

(2016年8月13日朝刊掲載)

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