社説 ヒロシマ71年 核なき世界 命あるうちに
16年8月6日
「原爆はやがて花火のように無数に打ち上げられ、地球に住むありとあらゆる人間の顔にケロイドができればいい」。自らも顔にケロイドがある広島市生まれの老作家、中山士朗さんは60年前、このような文章をしたためている。常に好奇の目で見られ、職もない。その心中はかくも荒れ果てていたのである。
当時、作家原民喜の詩碑の前に立った。碑の角は小石を投げつけられて欠け、碑銘の陶板は文字が読み取れぬほどだった。あぜんとして、なぜ人も街も滅びなかったのかと思った―。昨年出版された「関千枝子 中山士朗ヒロシマ往復書簡第1集」の中で回想している。
歳月を経て、当時の心境を中山さんは同じ被爆者とのやりとりの中で顧みることができた。
人道上許されぬ
あの日から71年。同じ家族、同じ教室、同じ職場でも生死を分けた原爆。自分も死ねばよかったという自責の念を持つ人も少なくない。それほど、あらゆる感情を抱えて生きてきた被爆者。だからこそ、広島に降り立ったオバマ米大統領に対し、原爆投下を謝罪するかどうか、といった問いで済ますことができない。
むろん、あまたの市民が住む都市を警告もなく核攻撃したことは人道上許されざる行為だ。それでも、死者たちに報いるためには私たちとともに何をなすべきか、オバマ氏には問い掛けたい。核超大国の最高指導者が核廃絶への道筋をどのように指し示し、実行に移すつもりなのか、あらためて答えを求める。
「ヒロシマ演説」には落胆させられる点が多々あった。広島市の松井一実市長は「核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」という一節を平和宣言に引用する。その趣旨は理解できるものの、演説に「私が生きているうちにこの目標は達成できないかもしれないが」と注釈が付くのはなぜか。
「私が生きているうちに」核廃絶ができないのなら、まして平均年齢80歳を超えた被爆者は見届けることなどできない。その悠長な言い回しは落胆するのに十分だが、政治家としての実行力にも疑問符を付けざるを得ないのだ。
オバマ氏は2009年の「プラハ演説」で「核兵器なき世界」を提唱した。その後は、イランとの核協議を合意に持ち込んだ以外目立った成果がない。
先制不使用の道
一方で核戦争の危機は、この世界にくすぶり続けている。ピーク時から大幅に減少したとはいえ、世界には1万5千発を超える核弾頭が存在する。しかも、核保有国は核拡散防止条約(NPT)が定める核軍縮義務をよそに、核戦力の近代化へ向かっているのが現実だ。テロ組織への核物質の流出もあり得る。
ただ、ここに来て光明が見えてきた。核実験禁止を目指す新たな国連安全保障理事会決議の提案と併せて、核兵器の「先制不使用」の宣言を、オバマ氏が検討していることである。
米国と同盟国は通常戦力で他国をしのいでいる。仮に通常兵器や生物・化学兵器で攻撃を受けても核兵器で反撃する必要はないし、まして先制使用する選択肢はない。核戦争がエスカレートすれば、交戦国は互いに破滅だ。
核保有自体を否定しない先制不使用は、直ちに核廃絶を実現するものではあるまい。だが、核兵器への依存を漸減させていくのは間違いない。北朝鮮や中国への抑止力が損なわれるとして日本政府内部では反対論が大勢だというが、原水禁国民会議などは安倍晋三首相に先制不使用への支持を求めた。前向きに、答えるべきである。
日本もいずれ、米国の「核の傘」に依拠した安全保障政策を転換させる岐路に立つはずだ。「ヒロシマ演説」が日米同盟強化の根拠とみなされるならば、それは被爆地の本意ではない。
法的枠組み急げ
核兵器禁止への法的枠組みづくりを目指す国際世論のうねりを直視しよう。昨年11月にはそれを呼び掛ける決議が、国連総会で軍縮を受け持つ委員会で採択された。オーストリアなどが主導し、国連加盟の6割を超す128カ国が賛同したが、日本の棄権には納得がいかない。
核の非人道性を身をもって知る国として、核保有国と非保有国の「橋渡し役」だけでは物足りない。法的枠組みづくりへ率先して行動すべきだ。
広島、長崎の2度の惨禍以来、71年にわたって兵器としての核は使われなかった。それは僥倖(ぎょうこう)といってもいいだろう。冷戦時代には米ソなどが絡む一触即発の危機が幾度もあった、反核運動が世界的に盛り上がった1980年代には「ノー・ユーロシマ(欧州を核の戦場にするな)」という言葉が流布したことを顧みれば、今なお背筋が凍り付く。
この71年は核への恐怖がその使用を押しとどめ、一方で核への幻想を醸成してもきた。そんなパワーゲームの中で、日本の被爆者も、ある時は国連の場で自らのケロイドを見せながら、惨禍を繰り返すなと叫び続けてきたのだ。核時代の人間の闘いも忘れてはなるまい。
「ヒロシマ演説」の物足りなさはともかく、オバマ氏の広島訪問自体が、原爆投下を正当化してきた米国内の世論を、やがては変えていく役割を果たすと信じる。私たちはそうして核超大国の「地下水脈」から湧き出す、権力者たちの思惑を超えた民意と手を携えたい。
私たちは、諦めずに核廃絶を求める。「生きていてよかった」「あの時、死なないでよかった」と被爆者が思う、そう遠くない時期を目標に。
(2016年8月6日朝刊掲載)
当時、作家原民喜の詩碑の前に立った。碑の角は小石を投げつけられて欠け、碑銘の陶板は文字が読み取れぬほどだった。あぜんとして、なぜ人も街も滅びなかったのかと思った―。昨年出版された「関千枝子 中山士朗ヒロシマ往復書簡第1集」の中で回想している。
歳月を経て、当時の心境を中山さんは同じ被爆者とのやりとりの中で顧みることができた。
人道上許されぬ
あの日から71年。同じ家族、同じ教室、同じ職場でも生死を分けた原爆。自分も死ねばよかったという自責の念を持つ人も少なくない。それほど、あらゆる感情を抱えて生きてきた被爆者。だからこそ、広島に降り立ったオバマ米大統領に対し、原爆投下を謝罪するかどうか、といった問いで済ますことができない。
むろん、あまたの市民が住む都市を警告もなく核攻撃したことは人道上許されざる行為だ。それでも、死者たちに報いるためには私たちとともに何をなすべきか、オバマ氏には問い掛けたい。核超大国の最高指導者が核廃絶への道筋をどのように指し示し、実行に移すつもりなのか、あらためて答えを求める。
「ヒロシマ演説」には落胆させられる点が多々あった。広島市の松井一実市長は「核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」という一節を平和宣言に引用する。その趣旨は理解できるものの、演説に「私が生きているうちにこの目標は達成できないかもしれないが」と注釈が付くのはなぜか。
「私が生きているうちに」核廃絶ができないのなら、まして平均年齢80歳を超えた被爆者は見届けることなどできない。その悠長な言い回しは落胆するのに十分だが、政治家としての実行力にも疑問符を付けざるを得ないのだ。
オバマ氏は2009年の「プラハ演説」で「核兵器なき世界」を提唱した。その後は、イランとの核協議を合意に持ち込んだ以外目立った成果がない。
先制不使用の道
一方で核戦争の危機は、この世界にくすぶり続けている。ピーク時から大幅に減少したとはいえ、世界には1万5千発を超える核弾頭が存在する。しかも、核保有国は核拡散防止条約(NPT)が定める核軍縮義務をよそに、核戦力の近代化へ向かっているのが現実だ。テロ組織への核物質の流出もあり得る。
ただ、ここに来て光明が見えてきた。核実験禁止を目指す新たな国連安全保障理事会決議の提案と併せて、核兵器の「先制不使用」の宣言を、オバマ氏が検討していることである。
米国と同盟国は通常戦力で他国をしのいでいる。仮に通常兵器や生物・化学兵器で攻撃を受けても核兵器で反撃する必要はないし、まして先制使用する選択肢はない。核戦争がエスカレートすれば、交戦国は互いに破滅だ。
核保有自体を否定しない先制不使用は、直ちに核廃絶を実現するものではあるまい。だが、核兵器への依存を漸減させていくのは間違いない。北朝鮮や中国への抑止力が損なわれるとして日本政府内部では反対論が大勢だというが、原水禁国民会議などは安倍晋三首相に先制不使用への支持を求めた。前向きに、答えるべきである。
日本もいずれ、米国の「核の傘」に依拠した安全保障政策を転換させる岐路に立つはずだ。「ヒロシマ演説」が日米同盟強化の根拠とみなされるならば、それは被爆地の本意ではない。
法的枠組み急げ
核兵器禁止への法的枠組みづくりを目指す国際世論のうねりを直視しよう。昨年11月にはそれを呼び掛ける決議が、国連総会で軍縮を受け持つ委員会で採択された。オーストリアなどが主導し、国連加盟の6割を超す128カ国が賛同したが、日本の棄権には納得がいかない。
核の非人道性を身をもって知る国として、核保有国と非保有国の「橋渡し役」だけでは物足りない。法的枠組みづくりへ率先して行動すべきだ。
広島、長崎の2度の惨禍以来、71年にわたって兵器としての核は使われなかった。それは僥倖(ぎょうこう)といってもいいだろう。冷戦時代には米ソなどが絡む一触即発の危機が幾度もあった、反核運動が世界的に盛り上がった1980年代には「ノー・ユーロシマ(欧州を核の戦場にするな)」という言葉が流布したことを顧みれば、今なお背筋が凍り付く。
この71年は核への恐怖がその使用を押しとどめ、一方で核への幻想を醸成してもきた。そんなパワーゲームの中で、日本の被爆者も、ある時は国連の場で自らのケロイドを見せながら、惨禍を繰り返すなと叫び続けてきたのだ。核時代の人間の闘いも忘れてはなるまい。
「ヒロシマ演説」の物足りなさはともかく、オバマ氏の広島訪問自体が、原爆投下を正当化してきた米国内の世論を、やがては変えていく役割を果たすと信じる。私たちはそうして核超大国の「地下水脈」から湧き出す、権力者たちの思惑を超えた民意と手を携えたい。
私たちは、諦めずに核廃絶を求める。「生きていてよかった」「あの時、死なないでよかった」と被爆者が思う、そう遠くない時期を目標に。
(2016年8月6日朝刊掲載)