『論』 オバマ氏訪問の後で 核廃絶 被爆地の行動が鍵
16年6月2日
■論説委員・東海右佐衛門直柄
夕なぎの平和記念公園に、歴史的な瞬間が訪れた。
オバマ米大統領が原爆慰霊碑に献花し、神妙な面持ちで目を閉じた。その間、5秒…。辺りの空気が一変した気がした。
オバマ氏の演説は、厳粛で抑揚が効き、説得力があった。私を含めて公園内にいた約600人の報道陣は、じっと息を詰めて聞き入った。特に原爆投下のむごさを表した言葉は私の胸を打った。
オバマ氏でなければ現職の米大統領が被爆地を訪れること自体、難しかったに違いない。さまざまな批判のリスクが出ることを承知で訪問に踏み切ったことは勇断である。原爆投下国のトップが自ら被爆地に立ち、核兵器がもたらす惨禍を認めた。それは世界における核兵器の認識を変えていく可能性があるほど重要だ。
同時に訪問後、あらためて見えてきた問題にも目を向けなければならない。
一つは「核のフットボール」と呼ばれる黒いかばんが、平和公園内に持ち込まれた可能性が極めて高いことだ。かばんには、緊急時に核攻撃を指令する通信機器や認証システムなどが入っているとされ、常に米大統領近くに帯同されているという。今回、オバマ氏近くに大きな黒かばんをもった軍人が同行する様子がニュース映像から確認された。
もし慰霊碑近くに米国の核ボタンがあったのが事実なら、これほど原爆犠牲者を傷つける暴挙はあるまい。
米国側からすれば、かばんの持ち込みは緊急時に対応するための通常業務というのであろう。しかし、原爆の惨禍で苦しみ亡くなった人々を悼む慰霊碑の意味をどれほど理解していたのか。
二つ目は、オバマ氏と被爆者の面会の意味合いである。
オバマ氏は演説の後、被爆者であり歴史研究家の森重昭さん(79)をそっと抱き寄せた。森さんは、原爆投下で亡くなった米兵捕虜たちの調査で知られる。涙を流す森さんの背中をさするオバマ氏の様子は確かに感動的だった。米国内でも繰り返し報道されている。
ただ、オバマ氏が握手したもう一人の被爆者、日本被団協の坪井直代表委員(91)が日本政府側の招待だったのに対し、森さんは米国側からの招待者だった。米国からすれば、抱擁で「和解」を印象付けたい意図があったとみられても否定はできまい。
オバマ氏の訪問から1週間近くが過ぎたいまも、被爆地では「熱狂の余韻」が続く。
週末には原爆資料館の入館者が前年同期の2倍となった。慰霊碑前にも人波が絶えなかった。さらに共同通信社の全国世論調査でオバマ氏の広島訪問を「よかった」と評価したのは98%にも達した。オバマ氏訪問が日本での広島への関心を喚起した意味は大きい。
一方で私たちは冷静にならなければなるまい。2009年、プラハでオバマ氏が演説した際も被爆地は歓喜した。「オバマさんなら核兵器をなくしてくれる」と期待した。そしていつの間にか「観客気分」に陥り、オバマ氏に頼りすぎたきらいは否めない。
かつての「オバマブーム」のように一過性の熱狂で終わってはならない。
核廃絶への道筋は今も見えない。核兵器を条約で禁止しようとする動きが広がる一方、それを阻止しようとしているのは実は日米両政府だ。両国は現実と発するイメージに圧倒的な落差がある。
歴史の重いドアを開けたオバマ氏の訪問を、今後どう被爆地が引き継ぐか問われている。
オバマ氏は任期中にどうしても広島へ来たかったのだろう。伝えたかったことは何なのか。
核兵器なき世界を提唱しながら当面の核軍縮すら思うように進められず、じくじたる思いがあったはずだ。それでも「諦めてはならない」と被爆地に伝えたかったのではないか、と私は思う。
核兵器なき世界の実現は、人類の「宿題」であり、それは被爆地の主体的な行動によってのみ達せられる―。そうオバマ氏は私たちに重いメッセージを送ったのではないだろうか。
(2016年6月2日朝刊掲載)
夕なぎの平和記念公園に、歴史的な瞬間が訪れた。
オバマ米大統領が原爆慰霊碑に献花し、神妙な面持ちで目を閉じた。その間、5秒…。辺りの空気が一変した気がした。
オバマ氏の演説は、厳粛で抑揚が効き、説得力があった。私を含めて公園内にいた約600人の報道陣は、じっと息を詰めて聞き入った。特に原爆投下のむごさを表した言葉は私の胸を打った。
オバマ氏でなければ現職の米大統領が被爆地を訪れること自体、難しかったに違いない。さまざまな批判のリスクが出ることを承知で訪問に踏み切ったことは勇断である。原爆投下国のトップが自ら被爆地に立ち、核兵器がもたらす惨禍を認めた。それは世界における核兵器の認識を変えていく可能性があるほど重要だ。
同時に訪問後、あらためて見えてきた問題にも目を向けなければならない。
一つは「核のフットボール」と呼ばれる黒いかばんが、平和公園内に持ち込まれた可能性が極めて高いことだ。かばんには、緊急時に核攻撃を指令する通信機器や認証システムなどが入っているとされ、常に米大統領近くに帯同されているという。今回、オバマ氏近くに大きな黒かばんをもった軍人が同行する様子がニュース映像から確認された。
もし慰霊碑近くに米国の核ボタンがあったのが事実なら、これほど原爆犠牲者を傷つける暴挙はあるまい。
米国側からすれば、かばんの持ち込みは緊急時に対応するための通常業務というのであろう。しかし、原爆の惨禍で苦しみ亡くなった人々を悼む慰霊碑の意味をどれほど理解していたのか。
二つ目は、オバマ氏と被爆者の面会の意味合いである。
オバマ氏は演説の後、被爆者であり歴史研究家の森重昭さん(79)をそっと抱き寄せた。森さんは、原爆投下で亡くなった米兵捕虜たちの調査で知られる。涙を流す森さんの背中をさするオバマ氏の様子は確かに感動的だった。米国内でも繰り返し報道されている。
ただ、オバマ氏が握手したもう一人の被爆者、日本被団協の坪井直代表委員(91)が日本政府側の招待だったのに対し、森さんは米国側からの招待者だった。米国からすれば、抱擁で「和解」を印象付けたい意図があったとみられても否定はできまい。
オバマ氏の訪問から1週間近くが過ぎたいまも、被爆地では「熱狂の余韻」が続く。
週末には原爆資料館の入館者が前年同期の2倍となった。慰霊碑前にも人波が絶えなかった。さらに共同通信社の全国世論調査でオバマ氏の広島訪問を「よかった」と評価したのは98%にも達した。オバマ氏訪問が日本での広島への関心を喚起した意味は大きい。
一方で私たちは冷静にならなければなるまい。2009年、プラハでオバマ氏が演説した際も被爆地は歓喜した。「オバマさんなら核兵器をなくしてくれる」と期待した。そしていつの間にか「観客気分」に陥り、オバマ氏に頼りすぎたきらいは否めない。
かつての「オバマブーム」のように一過性の熱狂で終わってはならない。
核廃絶への道筋は今も見えない。核兵器を条約で禁止しようとする動きが広がる一方、それを阻止しようとしているのは実は日米両政府だ。両国は現実と発するイメージに圧倒的な落差がある。
歴史の重いドアを開けたオバマ氏の訪問を、今後どう被爆地が引き継ぐか問われている。
オバマ氏は任期中にどうしても広島へ来たかったのだろう。伝えたかったことは何なのか。
核兵器なき世界を提唱しながら当面の核軍縮すら思うように進められず、じくじたる思いがあったはずだ。それでも「諦めてはならない」と被爆地に伝えたかったのではないか、と私は思う。
核兵器なき世界の実現は、人類の「宿題」であり、それは被爆地の主体的な行動によってのみ達せられる―。そうオバマ氏は私たちに重いメッセージを送ったのではないだろうか。
(2016年6月2日朝刊掲載)