オバマ演説をひもとく 広島市立大教授・井上泰浩 原爆正当化 葬る根拠に
16年6月1日
犠牲10万人以上/市民生活破壊 米公式見解を修正
謝罪がなかったことに対する失望や落胆、具体性がないと評する声が多い中、オバマ米大統領の広島演説で見逃されているとても重要な点がある。
原爆で亡くなった人の数、そして、何を破壊し誰が犠牲になったのかについて、これまでの米国の公式見解を修正する内容が広島演説で明言されたことだ。原爆神話を打ち破ることにつながるこれらの重要性をひもといていきたい。
広島原爆投下の犠牲者数は、米国において公式には7万1379人(USSBS、米国戦略爆撃調査団)となっている。長崎の犠牲者と合わせた8万4673人が、誤って広島の犠牲者として使われることも多い。
米国や世界中の新聞記事やニュースばかりか、歴史・政治学者の学術論文でもこの数字(もしくは近い数字)が大手を振っている。
その結果どうなるか。「東京空襲犠牲者の10万人より少なく、破壊規模も小さい」「レニングラード包囲戦の比ではない」。このように原爆被害の矮小(わいしょう)化に使われることが多い。
私の研究分野は、原爆投下が米国など世界のメディアによってどのように報道され、人々の認識形成に影響しているか、また、原爆投下の決定要因や情報操作の分析だ。
記事や学術論文の中で「広島への原爆投下によって7万人」「8万人」というくだりを目にするたびに、「またか」とため息が出る。そして、「人類が初めて経験する武器であったが、被害規模や犠牲者数からすると…」と続くと、研究者としての立場を忘れて悲しく、そして怒りがこみ上げてくる。
広島演説では、「10万人を超える死者」と明言された。おそらく、ホワイトハウスなど米政府内では、犠牲者数をどうするかについて議論され、実数である14万人と相いれないわけではない「10万人以上」に落ち着いたのだろう。
犠牲者の数をもてあそぶことは気分の悪いことではある。しかし、多分に情報操作的な公式死者数のために、原爆被害の実相が過小評価や矮小化されてきたことは事実だ。7万人の犠牲者という間違いは、広島演説によって正された。
そして、数字よりもはるかに重要なことがある。原爆が何を破壊し誰の命を奪ったかである。
広島原爆が正当化される根源になるのは、投下を承認したトルーマン大統領の米国民に向けた演説だ。
「史上初の原子爆弾が軍事基地である広島に落とされた。その(軍都に投下)理由は、市民を殺すことを避けるため、可能な限り、である」
その後も政府の情報操作によって、「原爆は軍と軍需工場を破壊し、日本を降伏させた。その結果、100万人の米兵だけではなく、それ以上の日本国民の命も救った」という神話(いや、欺瞞(ぎまん))が続くことになる。
しかしオバマさんはアメリカ大統領としては初めて、そして、米政府としてもおそらく初めて、原爆は市民の生活を破壊し、米国人の良心を揺さぶる「女性や子供」が犠牲者になったと話した。「軍事基地」という言及はない。
この意味は大きい。原爆神話の原点となるトルーマン演説を否定、修正するものだからだ。
大統領演説や声明は公式なものとして、修正されない限り未来永劫(えいごう)生き続け、影響力を持ち続ける。
ある例を紹介したい。1991年12月8日(日本時間)、ハワイ真珠湾でのブッシュ(父)大統領の「もう恨みはない」とした「融和演説」だ。日本を完全にたたきのめそうと訴えたルーズベルト大統領の「屈辱演説」を修正するものだ。
「ブッシュ大統領の演説があったからこそ、真珠湾は憎悪から融和へと大転換が実現した」と米国立公園局歴史家ダニエル・マルティネスさんは断言する。訪問者が見ることになる日本に対する憎悪むき出しだった映画は戦争の死者を追悼するものになった。現地の資料館の展示内容は日米開戦に向かう歴史的史実が中心となった。佐々木禎子さんの折り鶴が2013年に真珠湾に展示されたことも、融和を象徴している。
時間はかかるだろう。しかしオバマ大統領の演説は、「原爆神話と正当化」を葬り去ることの「公式な根拠」になりうると私は信じている。
いのうえ・やすひろ
山口市生まれ。毎日新聞記者を経て米ミシガン州立大博士課程修了。2001年から広島市立大に勤務、07年国際学部教授。専門は政治とメディア、米ジャーナリズム、ネットと社会。13年4月から1年間、ハワイ大マノア校客員研究員。著書に「メディア・リテラシー」など。
(2016年6月1日朝刊掲載)