被爆者抱擁 和解なのか オバマ米大統領 広島で演説 感動呼ぶ場面 単純化違和感
16年6月1日
広島を27日に訪れたオバマ米大統領は平和記念公園(広島市中区)での演説後、被爆者であり、被爆死した米兵捕虜の供養と遺族の掘り起こしを続けてきた森重昭さん(79)=西区=と抱擁を交わした。その写真は瞬時に世界を駆け巡った。感動を呼ぶ場面には違いないが、米大統領と被爆者の全面的「和解」とのイメージが広まっているなら違和感もある。なぜか―。(金崎由美)
5月上旬、米国出張の際に試みた取材が、期せずして森さんとオバマ政権を結ぶ端緒となった。
広島訪問の正式発表前。情報収集のため日米の政府関係筋と接触した。米側の一人には、オバマ氏が被爆地に抱く思いなどを質問した。意外だったのは、「原爆犠牲者には米兵捕虜もいる」と続けた時。相手の態度が変わり、「知らなかった」とメモを取り始めた。
悲しみ日米同じ
こちらが「原爆投下を肯定的に語る際、自国民の犠牲者がいるのは都合が悪い。だから人々は目を背けるし、遺族も声を上げにくかったはずだ」と指摘すると、小さくうなずいた。親しくしているシゲアキ・モリという被爆者が私財を投じて調査しており、「原爆で失われた命や遺族の悲しみは日本も米国も同じだ、と追悼の銘板も広島市内に設置した。会って一緒に日米の犠牲者を悼んでもいいのではないか」と続けた。
オバマ氏の広島訪問の数日前、森さんの連絡先を尋ねる米国からの電子メールを受信。すぐに回答のメールを送った。歴史的訪問の日、演説会場の取材エリアで、オバマ氏と、米政府から招待された森さんを遠目に見届けた。
「男性はここで死亡した米国人の家族を捜し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じだと気付いたから」。演説の一節に息が止まった。さらに、オバマ氏が森さんの背中をさする様子に胸は高鳴った。翌朝、よいアイデアを与えてくれたと謝意を表すメールが再び米国から届いた。
こちらからの情報を基にオバマ政権がどのような議論をしたのかは分からない。少なくとも、顧みられてこなかった無言の犠牲者と、その魂に寄り添う被爆者への人間的な共感があったことは確かではないか。
演説を聞いた後、「夢のようだ」と興奮気味に話していた森さん。「長年の労苦が報われた」という感動と、遺族と森さんの交流を追うドキュメンタリー「ペーパー・ランタンズ(灯ろう流し)」を自主製作した米国の映画監督バリー・フレシェットさん(45)から27日朝に届いた「12人の捕虜も一緒だよ」とのメールが高ぶる心の支えになったという。
オバマ氏が抱き締めたのは、孤独に調査を重ねた森さん自身の万感の思いであり、米兵捕虜の無念、そして遺族の涙だったろう。最上級の「ねぎらい」を受けるに値する人たちだ。
ただ裏を返せば、あのシーンは、被爆者と米大統領の関係を一般化したものではないことも意味する。
象徴として報道
海外特に欧米の報道は、あの場面の写真を両者の「和解」の象徴として使っている印象を受ける。それは、森さん招待に込めたオバマ政権の狙いでもあっただろう。太平洋戦争の米側犠牲者の追悼、という米国向けのメッセージを兼ねる意図があったことも想像に難くない。
だが被爆者の価値観は千差万別だ。「米国を許す」人がいる一方、原爆使用責任や「謝罪」を問う人もいる。どちらにも深い理由と正当な根拠がある。過度に単純化されたイメージは、その枠にはまらない声をかき消す危うさをはらむ。
広島と長崎であの日何が起こり、生き残った人たちはどんな71年間を過ごしてきたのか。多様な原爆被害の実態を世界に伝えるには、オバマ氏が広島を訪れる前と変わらず、粘り強い発信を続けるしかない。
(2016年6月1日朝刊掲載)
5月上旬、米国出張の際に試みた取材が、期せずして森さんとオバマ政権を結ぶ端緒となった。
広島訪問の正式発表前。情報収集のため日米の政府関係筋と接触した。米側の一人には、オバマ氏が被爆地に抱く思いなどを質問した。意外だったのは、「原爆犠牲者には米兵捕虜もいる」と続けた時。相手の態度が変わり、「知らなかった」とメモを取り始めた。
悲しみ日米同じ
こちらが「原爆投下を肯定的に語る際、自国民の犠牲者がいるのは都合が悪い。だから人々は目を背けるし、遺族も声を上げにくかったはずだ」と指摘すると、小さくうなずいた。親しくしているシゲアキ・モリという被爆者が私財を投じて調査しており、「原爆で失われた命や遺族の悲しみは日本も米国も同じだ、と追悼の銘板も広島市内に設置した。会って一緒に日米の犠牲者を悼んでもいいのではないか」と続けた。
オバマ氏の広島訪問の数日前、森さんの連絡先を尋ねる米国からの電子メールを受信。すぐに回答のメールを送った。歴史的訪問の日、演説会場の取材エリアで、オバマ氏と、米政府から招待された森さんを遠目に見届けた。
「男性はここで死亡した米国人の家族を捜し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じだと気付いたから」。演説の一節に息が止まった。さらに、オバマ氏が森さんの背中をさする様子に胸は高鳴った。翌朝、よいアイデアを与えてくれたと謝意を表すメールが再び米国から届いた。
こちらからの情報を基にオバマ政権がどのような議論をしたのかは分からない。少なくとも、顧みられてこなかった無言の犠牲者と、その魂に寄り添う被爆者への人間的な共感があったことは確かではないか。
演説を聞いた後、「夢のようだ」と興奮気味に話していた森さん。「長年の労苦が報われた」という感動と、遺族と森さんの交流を追うドキュメンタリー「ペーパー・ランタンズ(灯ろう流し)」を自主製作した米国の映画監督バリー・フレシェットさん(45)から27日朝に届いた「12人の捕虜も一緒だよ」とのメールが高ぶる心の支えになったという。
オバマ氏が抱き締めたのは、孤独に調査を重ねた森さん自身の万感の思いであり、米兵捕虜の無念、そして遺族の涙だったろう。最上級の「ねぎらい」を受けるに値する人たちだ。
ただ裏を返せば、あのシーンは、被爆者と米大統領の関係を一般化したものではないことも意味する。
象徴として報道
海外特に欧米の報道は、あの場面の写真を両者の「和解」の象徴として使っている印象を受ける。それは、森さん招待に込めたオバマ政権の狙いでもあっただろう。太平洋戦争の米側犠牲者の追悼、という米国向けのメッセージを兼ねる意図があったことも想像に難くない。
だが被爆者の価値観は千差万別だ。「米国を許す」人がいる一方、原爆使用責任や「謝罪」を問う人もいる。どちらにも深い理由と正当な根拠がある。過度に単純化されたイメージは、その枠にはまらない声をかき消す危うさをはらむ。
広島と長崎であの日何が起こり、生き残った人たちはどんな71年間を過ごしてきたのか。多様な原爆被害の実態を世界に伝えるには、オバマ氏が広島を訪れる前と変わらず、粘り強い発信を続けるしかない。
(2016年6月1日朝刊掲載)