『今を読む』 神戸市外国語大准教授・繁沢敦子
16年5月24日
広島とオバマ大統領 守るべき一線 譲ったのか
オバマ大統領の勇気ある決断を支持したい。一方で、その記念碑的な瞬間を前に手放しでは喜べないのも事実だ。
謝罪抜きの訪問だからではない。原爆を投下したことについて米国は謝罪すべきだと私は思う。しかし、これまでの背景をいくらか知る一人としては、公式謝罪は期待できないことを理解している。
問題は「被爆者は謝罪を求めていない」という言葉が一人歩きしていることだ。
それを根拠に、広島市長や政府要人が謝罪を求めないことを明らかにし、結果的にその言葉がオバマ氏訪問の交換条件として機能してしまった。「謝罪」を巡って米国側と議論にもならないまま、いや、むしろそれを避けるために、日本国内で一方的に言説がつくられた感がある。
米国との駆け引きというより、国内の世論操作を通じた米国への協力だったのではないかという印象さえ受ける。
確かに、謝罪は求めないと明言する被爆者もいる。恩讐(おんしゅう)を超えてそうした心境に達した人の言葉には感動を覚える。一方で、米国に過ちを認めてほしいとする声や謝罪を求める声も存在する。しかし、憎しみや恨みといった負の感情は表に出したくないというのが人間のさがだろう。最も個人的な部分の感情であり、一見の取材者に露呈できるような話でもない。
盛り上がるばかりの歓迎ムードに水を差すことはしにくい。過去にこだわることを「前に進めない」「乗り越えられない」ことと同等に捉える風潮もある。こうした繊細な事情が考慮されないまま、一つの言説が集団の総意として演出されてしまったのではないか。
その下地は少し前からつくられていた。「被爆者は謝罪を求めていない」という言葉は2008年ごろから聞かれるようになった。全米原爆展を開催していた時期で、投下を巡る問題よりも、核拡散や核廃絶の問題に米市民と協調して取り組むことが優先されたということもあろう。それゆえに、守るべき一線を譲ってしまったのではなかったか。今回の言説の伏線になったように思えてならない。
「原爆と検閲」の研究をしていると、軍や行政機関による検閲と、書き手や編集者による自己検閲の違いを問われることがある。制度にのっとって行われたか、誰が行ったかという点を除くと、両者を区別するのは難しいことも少なくない。自己検閲といっても裏では権力による圧力が働いていることが多いからだ。
検閲ではないにしても、今回の問題では同様の力が働いた可能性がある。一定の立場にある人物の発言には、それに反する趣旨の発言を封印するだけの力がある。
集団の威を借りるレトリックも用いられた。恐らくは周囲の数人が述べた言葉が「多くの人」が言ったことになり、次には「大多数の人」が言ったことになる。それを政府の要人が「私たち」という主語で語ることで「日本人の総意」になってしまうのだろう。
安倍晋三首相は14日、「原爆や戦争を恨まず、人の中に巣くう『争う心』と決別する」訪問にしたいと述べた。しかし、原爆や戦争を恨む心と争う心はまったく違う次元のものだ。原爆と戦争を恨む心が、次の世代に自分たちと同じ目に遭わせたくないという反戦反核運動を育んできた。オバマ氏も唱える「核兵器のない世界」に向けて先駆けて活動してきたのは、こうした人々であることを忘れてはならないだろう。
被爆者は核時代において、あまりに多くのものを背負わされた数奇な運命の人々だと言わざるを得ない。家族を失った悲しみ、肉体的な苦しみ。冷戦と核開発、核拡散にまい進した人類の愚かさ。彼らの犠牲の上に成り立つ社会による忘却や無関心。謝罪を求める人も、求めない人も、さまざまな感情を胸のうちに押し込み、「新しい日米関係」のために今、その運命に最も責任のあった国の首脳を受け入れようとしている。
大統領と首相にはぜひ、真っ先に被爆者と会っていただきたい。そして、その時に込み上げてくる言葉があれば、素直に口にしてほしい。
67年福岡市生まれ。神戸市外国語大卒。広島市立大国際学研究科博士前期課程修了(学術修士)。読売新聞記者、広島市立大広島平和研究所情報資料室編集員を経てフリーの翻訳家、通訳、ライター。16年4月から現職。著書に「原爆と検閲」。
(2016年5月24日朝刊掲載)