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社説・コラム

どう見る米大統領広島訪問 九州大大学院准教授・直野章子氏

「謝罪」の議論 封じるな

  ―訪問は米社会の歴史認識、原爆観の変化を映すものでしょうか。
 世代交代が進み、原爆投下がいっそう「過去の歴史」になったとはいえるだろう。第2次世界大戦の記憶がある世代は著しく高齢化した。原爆投下を正当化する人が若い世代ほど少ない傾向なのは、世論調査ではっきりしている。

 約20年前の米国で、スミソニアン航空宇宙博物館で計画された原爆展を中止に追い込む大きな力になったのは、退役軍人の団体だった。「自分たちの命があるのは原爆のおかげだ」という強い感情が彼らにはあった。彼らが徐々に亡くなり、発言力が次世代に移る中で訪問が可能になった面がある。だが、それを肯定的に評価するのは単純すぎる。

  ―米社会の本質的な変化とまではいえない、ということでしょうか。
 原爆投下を「非人道的な行為」と認めることを、米国民の多数派は今も受け入れない。米国が大戦を通じて確立した「自由と民主主義の擁護者」「世界のナンバーワン国家」としての自己認識は、世代を超えて強固で、そのプライドを損ないかねないからだ。

 米大統領選に向けて注目されるトランプ氏は、原爆投下を決断したトルーマンの「勇気」をたたえる支持者の応援演説に勢いづいた。そんな「トランプ旋風」が起きる米社会の現状がある。もちろん、歴史認識を含めてマイノリティー(少数者)の多様な声があるのも米社会の特徴だが。

  ―翻って日本人の歴史認識は変化したでしょうか。
 加害の歴史を軽視する危うさもはらむ「唯一の被爆国」という自己認識が、例えば20年前と比べ、変わってきたという感じはしない。被害と加害を内在的に結び付けて原爆や戦争を捉えていくことは、なお課題としてある。

  ―日米の社会は、訪問をどう前向きに生かせるでしょうか。
 オバマ大統領が原爆投下を謝罪するのは無理でも、謝罪すべきか否か、米社会にいや応なく議論は巻き起こる。「非人道性」についてもしかりで、大統領には広島で何らかの言及をしてほしいと願っている。日本でも、謝罪すべきか否かの議論は、原爆被害をもたらした責任は米国だけにあるのかといった議論につながり得る。

 だからこそ、私たちが議論にふたをしないことが大切だ。政治家が「謝罪の必要はない」と発言したとしても、謝罪を求める声を封じる同調圧力にさせないこと。日米同盟強化の方便として「未来志向」「和解」といった聞き心地のいい言葉で埋め尽くされてはいけない。(道面雅量)

なおの・あきこ
 1972年生まれ、兵庫県西宮市出身。米アメリカン大卒業後の95年、同大での原爆展開催に奔走した。2002年、カリフォルニア大サンタクルーズ校で社会学博士号取得。05年から現職。著書に「原爆体験と戦後日本」「被ばくと補償」など。

(2016年5月19日朝刊掲載)

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