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連載・特集

70年目の憲法 第5部 私のメッセージ <5> 広島大教授・横藤田誠さん

譲れない「個人の尊重」

 私は生後7カ月でポリオ(小児まひ)に感染し、両足に障害があります。中学まで養護学校(現特別支援学校)で学び、高校は普通学校へ行きました。級友が健常者の環境は初めて。いじめられはしませんでしたが「みんなと違う自分」を意識し、劣等感を抱いていました。そんな時、授業で憲法の13条を読み、衝撃を受けました。

 13条は「すべて国民は、個人として尊重される」とし、生命や自由、幸福追求の権利についても最大限の尊重を約束している。

13条が私の原点

 自分と関係ないと思っていた憲法が、人の苦しみや悩みに無関心じゃないんだと知って感動しました。当時、障害者への理解はまだ社会に広がっていませんでした。雇用もそう。民間企業への就職は難しいと思って諦めていました。だからこそ個人の「幸せ」をうたう憲法に魅力を感じ、深く知りたいと思ったんです。今の仕事の原点です。

 広島大、同大学院に進学し、憲法を専門に研究。現在、大学の教養教育の授業では主に人権侵害の歴史や人権保障の理論を説く。

 国の隔離政策で個人の尊厳を奪われたハンセン病患者、自立を求めて運動した障害者、冤罪(えんざい)の被害者を巡る問題がその代表例。残念ながら社会では多数の意見の下、不利な立場に置かれた少数者が「人間として誇りを持って生きる」ことを否定される場面があります。学生には主権者として、その現実を知ってもらいたいし、そこから平等や自由の意味を考えてほしいんです。

警戒しなくては

 そんな中、自民党の憲法改正草案が気になります。13条について、憲法は「個人として尊重される」ですが草案では「人として」に変えています。草案の真意は分かりませんが、私は一人一人の「個人」と、大きなくくりとしての意味もある「人」との違いは大きな問題と考えます。「個人」にこそ意味があります。私たちは改憲の是非について考える時、その視点も持ちたいですね。

 安倍政権の下で立憲主義が問われる今、憲法の尊重擁護の義務を負うのは国会議員や公務員と定めた99条への注目を促す。

 憲法は国民ではなく、権力者を縛るもの。こうして人権を守っていくのが立憲主義です。権力側が改憲を主張する際、主権者である国民は「人権保障はどうなるか」と警戒する必要があります。しかし、講義を受けるまで、多くの学生は立憲主義の意味を知らない。だから私は一番初めに教えます。

 人権が侵されていたとしても、国家に対峙(たいじ)できる強い個人ばかりではありません。私には、幼少期を共にした重度障害のある仲間がいます。そういう人たちの苦悩や希望に思いをはせ、憲法が保障する人権の意味を研究し、社会に発信していきます。(久保友美恵)

よこふじた・まこと
 福山市芦田町生まれ。5歳の時、当時広島市にあった肢体不自由児施設若草園に入所。福山養護学校中等部から広島県立府中高に進み、広島大へ。同大大学院社会科学研究科博士後期課程単位取得。広島国際大教授を経て2006年から現職。共著に「人権入門憲法/人権/マイノリティ」。

 連載「70年目の憲法」は今回で終わります。

(2016年5月14日朝刊掲載)

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