原爆碑86基 「無言の証人」描く アマ画家藤登さんが水彩画集 ヒロシマの記憶 伝えたい
16年5月2日
アマチュア画家の藤登弘郎さん(80)=広島市安芸区=が、原爆死没者の慰霊碑などを描いた水彩画集を自費出版した。学校、企業、官公庁関係など86基を紹介している。(増田咲子)
タイトルは「ヒロシマ原爆犠牲者慰霊碑」。碑は淡い色彩で表現し、場所や建立年月日、碑文、建立の経緯なども記している。当時1年生だった藤登さんの親戚が、建物疎開作業に出て亡くなったという広島二中(現観音高)の慰霊碑も掲載している。
被爆70年を前にした2014年12月に制作を始めた。碑を訪れ、手を合わせてからデッサン。犠牲になった一人一人を思うと、筆が動かなくなることもあったという。
藤登さんは当時、呉市安浦町の国民学校4年生で、学校にいて被爆はしていない。それでも「ほぼ同世代だった少年少女が多く亡くなっている。無念だったと思う。胸が痛む」と話す。
水彩画は、勤務先の銀行退職後の60歳ごろに始めた。10年に被爆建物、14年には被爆樹木を画集にまとめた。「犠牲者や家族の悲しみや苦しみを記憶している慰霊碑は無言の証人。若い人が碑を訪れ、戦争のない世界や命の大切さに思いを巡らせてほしい」と願っている。
A5判、100ページ、450部印刷し、広島市内の学校や図書館などに寄贈した。販売はしていない。
(2016年5月2日朝刊掲載)
タイトルは「ヒロシマ原爆犠牲者慰霊碑」。碑は淡い色彩で表現し、場所や建立年月日、碑文、建立の経緯なども記している。当時1年生だった藤登さんの親戚が、建物疎開作業に出て亡くなったという広島二中(現観音高)の慰霊碑も掲載している。
被爆70年を前にした2014年12月に制作を始めた。碑を訪れ、手を合わせてからデッサン。犠牲になった一人一人を思うと、筆が動かなくなることもあったという。
藤登さんは当時、呉市安浦町の国民学校4年生で、学校にいて被爆はしていない。それでも「ほぼ同世代だった少年少女が多く亡くなっている。無念だったと思う。胸が痛む」と話す。
水彩画は、勤務先の銀行退職後の60歳ごろに始めた。10年に被爆建物、14年には被爆樹木を画集にまとめた。「犠牲者や家族の悲しみや苦しみを記憶している慰霊碑は無言の証人。若い人が碑を訪れ、戦争のない世界や命の大切さに思いを巡らせてほしい」と願っている。
A5判、100ページ、450部印刷し、広島市内の学校や図書館などに寄贈した。販売はしていない。
(2016年5月2日朝刊掲載)