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惨状の一端に「衝撃」 ケリー氏、原爆ドームを急きょ訪問 遺品に言及せず 広島外相会合

 原爆を投下した米国の国務長官として初めて被爆地広島を訪れたケリー氏。当初予定になかった「爆心地」の原爆ドームに足を運んだ。二度と繰り返してはならない―。あまたの犠牲者に対してそう誓ってきたヒロシマの声は、どの程度届いたのだろうか。

 「すぐに(平和記念公園の)外に出て」―。11日正午ごろ、原爆ドーム周辺は警察官の急な規制で市民や観光客がざわついた。原爆慰霊碑前で記念撮影を終えた外相ら8人が、移動のため待機する車の列とは逆方向のドームへと歩を進めたからだ。

 ドーム見学は、ケリー氏が慰霊碑前で岸田文雄外相に提案し、実現した。随行した広島平和文化センターの小溝泰義理事長は、突然の行程変更をこう受け止めた。「ケリー氏は、ドームへの行き来で、『世界中の誰もが訪れるべきだ』と語った。最大限の誠実さを示された」

 ただ、冷めた目で見た市民も。ドーム前から退去を促されたボランティアガイド村上正晃さん(23)=西区=は「広島の市民を排除して要人が訪れても、どこまで被爆の実態が伝わるのか」とこぼした。

 先立つ原爆資料館の訪問でも証言を聴く場はなし。一方で、志賀賢治館長は随行時に見た外相たちの姿を「(館長を務める)この3年でも特に印象的なほど、一点一点の資料を熱心に見ていた」と振り返る。学徒の遺品や被爆直後の写真が並ぶ本館を中心に巡り、30分の見学予定は約20分超過した。

 「衝撃的で胸をえぐられるようだった」。ケリー氏が記者会見で挙げた資料館の展示は、リニューアル後の東館に展示される予定の「ホワイトパノラマ」。被爆前後の航空写真を基にした映像が市街地の模型に投映され、町が一瞬で破壊される様を「地獄のよう」と表した。とはいえ、パノラマは、投下した側の映像を中心に活用したCGだ。「米国の原爆が老若男女の命を奪った証しである遺品への言及を、あえて避けたのではないか」(市幹部)とみる声もあった。

 ケリー氏は会見後も市内に滞在し、ケネディ駐日大使たちと中区の日本料理店で会食した。元原爆資料館長で被爆者の原田浩さん(76)=安佐南区=は「被爆証言を聴けば、被害への衝撃はもっと強かったはずだ。外務省も広島市も、日程のどこかで時間を割くよう、もっと働き掛けてほしかった」と話した。

(2016年4月12日朝刊掲載)

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