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連載・特集

1969年 18歳 <中> 元生徒会長

介護通じ「変革」を追求 シニア世代 声上げて

 「カリスマ性を感じた」。1969年、広島市中区の修道高でバリケード封鎖を間近に体験したOBらが、異口同音に名前を挙げた元生徒会長がいる。同窓会名簿には載っていない。

 三好春樹さん(65)という。現在は神奈川県湯河原町に住む。中国語や韓国語にも翻訳された「新しい介護」など数々の著書を刊行し、年150回を超す講演を続ける。「老い」について、従来にない考察や提言で知られる理学療法士だ。

 広島での講演会を訪れると、若い介護福祉士らが笑い声を上げつつ真剣にノートをとっていた。「介護者は、パスカルをもじっていえば『考えるつえ』です。一人一人と向き合い支援する。未来の自分とのつきあい方も学ぶ仕事です」

 講演後、生徒会長となった高校2年の時に自ら創刊・編集した「生徒会機関誌」を懐かしげに見ると、当時の若者の皮膚感覚をこう語った。

 「ベトナムで戦禍が続くのに平和といえるのか。押し付けの受験教育の中で自己を確立したいとも思った。社会は今のように序列化しておらず、その意味では自由さもあった」という。

 「広島ベ平連」を68年に広島大生と結成し、初のデモには修道高からの約50人も参加。過激にもなった。仲間と大学入試展があった百貨店で座り込む。呉市の米軍広弾薬庫撤去を求める参加者を校内で募り、ヘルメットをかぶって出た。

卒業直前 退学に

 停学となった元生徒会長は、仲間と校長室へも押し掛けたことから卒業直前の69年2月、退学となる。父親は警察官だった。

 それでも、母校そばにあった学徒援護会が営む木造の広島学生会館(70年閉鎖)に寝泊まりして活動を続けた。10月に「修道全闘委」をつくり、福山や呉市などの高校生とも共闘した。「国際反戦デー」では約200人が平和記念公園までをデモ行進した。

 この時期、高校紛争は激化した学生運動の影響もあり、全国73校で起きた(警察庁調べ)。旧文部省は10月末、政治活動の全面禁止を通知。しかし70年春にかけ、反戦ビラ配布や卒業式ボイコットを含めると三百数十校に上った(「資料日本現代教育史3巻」)。

 三好さんは24歳の年、廿日市市にある特別養護老人ホームに採用される。12回目の転職。「しもの世話もするおばさんたちの人間性にも触れ、介護現場から社会を変えていこうと思った」。歩むべき道を見つけた。

親の世話で帰郷

 4年半勤めて九州リハビリテーション大学校(北九州市)へ進み、資格を取得。職場に戻り85年に「生活とリハビリ研究所」を開き、東京へ拠点を移した。

 今、ケアハウスに入居した両親をみるため広島へ毎月戻る。自身の長男は就活中という。「組織のしがらみから解かれるシニア世代は、豊かな関係や未来をつくるために声をもっと上げよう。動こう」と唱えた。(編集委員・西本雅実)

(2016年3月30日朝刊掲載)

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