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連載・特集

民喜文学 再び脚光 生誕110年/被爆70年 記憶遺産化の動き追い風 企画展や全集刊行 広島

 小説「夏の花」で知られる広島市出身の被爆作家、原民喜(1905~51年)が15日で、生誕110年となる。それを記念した企画展が、中区の同市立中央図書館で開かれている。ことしは、民喜の被爆時の手帳を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産へ登録しようとする動きをはじめ、文芸誌での特集、全詩集刊行などが相次ぎ、被爆70年に民喜文学が再び脚光を浴びている。(石井雄一)

 市立中央図書館の企画展は「生誕110年 原民喜展」(29日まで)。同館所蔵の自筆原稿など約120点を展示し、民喜の生涯をたどりながら、作家像や作品の魅力に迫る。

 全集未掲載の「より美しくより和やかに」と題した手記は、広島鉄道局機関誌「ひろしま」(50年8月号)に寄せた。同年4月、日本ペンクラブ広島の会が開いた「世界平和と文化大講演会」のために帰郷し、被爆5年後の広島を歩いた印象をつづっている。

 「泉邸の川岸には頭に白い手ぬぐいを冠つている人の姿を見かけた。常盤橋の踏切の附近では道路をなおしている人たちを見た。/廣島は絶えず今も刻々に復興の途上にあるのだろう」

 同館の石田浩子学芸員は「復興を感じ取り、未来への希望を文章に託したのでは」と語る。

妻亡くし死を意識

 一方で、最愛の妻貞恵を44年9月に失った後、民喜は常に死を意識していた。「一年間だけ生き残ろう」と決め、その1年まで残りあと1カ月となった45年8月に被爆する。手帳には「コハ今後生キノビテコノ有様ヲツタへヨト天ノ命ナランカ」とつづった。被爆の犠牲者と妻の死が、民喜の戦後の創作の柱となる。

 そして、45歳の若さで自死。自室には、親族や友人に宛てた19通の遺書が残されていた。その一つ、義弟で三原市出身の評論家佐々木基一(14~93年、本名永井善次郎)宛ての遺書を展示。「妻と死別れてから後の僕の作品は、その殆どすべてが、それぞれ遺書だつたやうな気がします」。原稿用紙にしたためられた文字からは、静謐(せいひつ)ささえ感じられる。

 被爆作家の中でも原民喜に注目が集まった背景に、ユネスコの記憶遺産を目指す動きがある。市民団体「広島文学資料保全の会」と広島市が、栗原貞子、峠三吉の直筆資料とともに、民喜の手帳を国内選考に申請した。手帳は、被爆直後の惨状を作家の視点で克明に刻み、小説「夏の花」に結実する原点の資料。ただ残念ながら、今回の国内候補選定からは漏れた。

 夏には「原民喜戦後全小説」や「原民喜全詩集」が刊行された。民喜が「夏の花」を発表し、編集長も務めた文芸誌「三田文学」の2015年夏季号は、未発表書簡や全集未掲載作、作家の寄稿などで、民喜特集を組んだ。

後生に思い伝える

 「夏の花」の舞台を巡るフィールドワークを続け、民喜の思いを後生に伝えているのが、おいの原時彦さん(81)だ。「被爆から70年がたち、今後は慰めの時代。小説『鎮魂歌』を読み直してほしい」と語る。それに呼応するように、8月の広島交響楽団の平和コンサートで、作家平野啓一郎さんが朗読したのは、民喜の「鎮魂歌」だった。

 時彦さんは、民喜の文学が読み継がれることの大切さを強調する。記憶遺産の国内候補から漏れた際も、「原爆文学のまさに原点。より多くの人に読まれるよう発信を続けたい」と力を込めた。

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 広島市立中央図書館は7日午後2時から、中区の市映像文化ライブラリーで、講演会「原民喜の愛と死―妻・貞恵と“奇跡の少女”祖田祐子」を開く。ノンフィクション作家の梯(かけはし)久美子さんが、民喜の心の支えになった2人の女性との関わりを通じて、民喜の人柄や作家像をひもとく。先着150人。要申し込み。同館Tel082(222)5542。

(2015年11月5日朝刊掲載)

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