『言』 安保法制と地方政治 住民目線で異を唱えたい
15年10月28日
◆前松阪市長・山中光茂さん
安全保障関連法は憲法違反だとして廃止などを求める集団訴訟の準備が各地で進んでいる。原告団で中心を担う一人が、三重県松阪市で9月末まで市長を務めた山中光茂さん(39)だ。苦学して医師となってアフリカに赴いた後、33歳の若さで市長に就任した経歴を持つ。在任中から集団的自衛権行使への異論を唱え続け、国を相手取る訴訟も起こしている。議会とのさまざまな対立から任期途中で辞職したばかり。新たな訴訟の準備に専念する現在の思いを聞いた。(聞き手は論説委員・東海右佐衛門直柄、写真・福井宏史)
―市長という公職の身で訴訟に踏み切ったのは。
昨年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定後から提訴を考えてきました。メディアを通じてその動きを知ったある政府高官には「たかが松阪市長のくせに」と言われました。国の安全保障の問題に地方が首を突っ込むな、ということでしょう。でも私からすれば「たかが一内閣、たかが一首相のくせに」。憲法を解釈で曲げ、従来許されないとしてきた集団的自衛権を認めたことこそおかしい。
―市長時代には「横やり」はなかったですか。
集団的自衛権について議論しよう、と三重県市長会に提案した時には「議論することは、国政の批判になる」として反対されました。国から圧力があったのかどうかは分かりません。ただ国民の中で異論があるのに、議論すらしようとしないのはおかしいと考えます。市民一人一人の幸せを国が害するかもしれない行動を取ったときに、一番身近で守るべきは首長だと思うのですが。
―9月の辞職は、こうした訴訟が背景にあるのですか。
違います。ここ数年、重要案件を市議会に提案しても、否決され続けてきました。私からすれば、反対の明確な理由すら示されずに。議会の無責任さが原因だとしても行政の長として結果を出していないことになる。責任を取るため辞めました。
―今後、安保法の違憲性を集団訴訟で問うわけですが、「具体的な損害がない」と門前払いされるとの予想もあります。
その可能性はあります。自衛隊員らを原告団に入れるべきだと指摘する法律家もいました。でも私は別の考えです。安保法制に抗議の声が広がったのは、普通の市民が「平和に生きる権利が奪われる」と危機感を抱いたから。この平和的生存権の侵害が重要です。12月末には一斉に訴訟が起きるでしょう。市民や弁護士、学者、俳優など千人以上が原告の予定です。
―ご自身の役割は。
訴訟の準備に力を注ぎたいと思います。多くの国民に参加してもらえるよう、法の論理性をしっかり構築したい。そしていずれは医療実務を学び直し、将来はまたアフリカへ行って途上国の支援に関わる予定です。
―もう政治の世界から身を引くのですか。
はい。もともと外交官を目指していました。小学生の時、授業でアフリカ難民のビデオを見て衝撃を受け、将来は「地球の裏側」のため働こうと思ったのです。経済的に苦しく、大学時代は新宿でホストもして多いときは年1千万円以上稼いでいました。同時に懸命に勉強して外交官試験を受けたのですが、最終面接で「アフリカの貧困問題など世界の共通利益に関わる仕事がしたい」と言ったら面接官に鼻で笑われ、国益にならないと言われました。だからその場で辞退したんです。医学部に入り直し、ケニアで医療支援に携わった後、他者の痛みに寄り添う仕事がしたいと政治の世界に入りました。しかし、今は戻るつもりはありません。
―今の政治に思うことは。
多くの政治家は「現場」を見ていないのではないでしょうか。現場の幸せよりも自分の価値観を推し進めることが正しいと思い込んでいます。そして自分以外の他の価値観への寛容性を欠いているように思います。地方の政治家の側にも課題があります。国の政策に、内心おかしいと思いながら、多くは保身ばかりで異議を唱えません。中央と地方に上下関係などない。住民の幸せのために議論し、時には国と戦う。そんな関係こそ求められると思うのです。
やまなか・みつしげ
三重県松阪市生まれ。慶応大法学部卒、群馬大医学部卒。NPO法人「少年ケニアの友」の医療担当専門員としてアフリカで活動。衆院議員秘書、三重県議などを経て09年2月、当時全国最年少で松阪市長に当選。2期目途中のことし9月末に辞職した。
(2015年10月28日朝刊掲載)
安全保障関連法は憲法違反だとして廃止などを求める集団訴訟の準備が各地で進んでいる。原告団で中心を担う一人が、三重県松阪市で9月末まで市長を務めた山中光茂さん(39)だ。苦学して医師となってアフリカに赴いた後、33歳の若さで市長に就任した経歴を持つ。在任中から集団的自衛権行使への異論を唱え続け、国を相手取る訴訟も起こしている。議会とのさまざまな対立から任期途中で辞職したばかり。新たな訴訟の準備に専念する現在の思いを聞いた。(聞き手は論説委員・東海右佐衛門直柄、写真・福井宏史)
―市長という公職の身で訴訟に踏み切ったのは。
昨年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定後から提訴を考えてきました。メディアを通じてその動きを知ったある政府高官には「たかが松阪市長のくせに」と言われました。国の安全保障の問題に地方が首を突っ込むな、ということでしょう。でも私からすれば「たかが一内閣、たかが一首相のくせに」。憲法を解釈で曲げ、従来許されないとしてきた集団的自衛権を認めたことこそおかしい。
―市長時代には「横やり」はなかったですか。
集団的自衛権について議論しよう、と三重県市長会に提案した時には「議論することは、国政の批判になる」として反対されました。国から圧力があったのかどうかは分かりません。ただ国民の中で異論があるのに、議論すらしようとしないのはおかしいと考えます。市民一人一人の幸せを国が害するかもしれない行動を取ったときに、一番身近で守るべきは首長だと思うのですが。
―9月の辞職は、こうした訴訟が背景にあるのですか。
違います。ここ数年、重要案件を市議会に提案しても、否決され続けてきました。私からすれば、反対の明確な理由すら示されずに。議会の無責任さが原因だとしても行政の長として結果を出していないことになる。責任を取るため辞めました。
―今後、安保法の違憲性を集団訴訟で問うわけですが、「具体的な損害がない」と門前払いされるとの予想もあります。
その可能性はあります。自衛隊員らを原告団に入れるべきだと指摘する法律家もいました。でも私は別の考えです。安保法制に抗議の声が広がったのは、普通の市民が「平和に生きる権利が奪われる」と危機感を抱いたから。この平和的生存権の侵害が重要です。12月末には一斉に訴訟が起きるでしょう。市民や弁護士、学者、俳優など千人以上が原告の予定です。
―ご自身の役割は。
訴訟の準備に力を注ぎたいと思います。多くの国民に参加してもらえるよう、法の論理性をしっかり構築したい。そしていずれは医療実務を学び直し、将来はまたアフリカへ行って途上国の支援に関わる予定です。
―もう政治の世界から身を引くのですか。
はい。もともと外交官を目指していました。小学生の時、授業でアフリカ難民のビデオを見て衝撃を受け、将来は「地球の裏側」のため働こうと思ったのです。経済的に苦しく、大学時代は新宿でホストもして多いときは年1千万円以上稼いでいました。同時に懸命に勉強して外交官試験を受けたのですが、最終面接で「アフリカの貧困問題など世界の共通利益に関わる仕事がしたい」と言ったら面接官に鼻で笑われ、国益にならないと言われました。だからその場で辞退したんです。医学部に入り直し、ケニアで医療支援に携わった後、他者の痛みに寄り添う仕事がしたいと政治の世界に入りました。しかし、今は戻るつもりはありません。
―今の政治に思うことは。
多くの政治家は「現場」を見ていないのではないでしょうか。現場の幸せよりも自分の価値観を推し進めることが正しいと思い込んでいます。そして自分以外の他の価値観への寛容性を欠いているように思います。地方の政治家の側にも課題があります。国の政策に、内心おかしいと思いながら、多くは保身ばかりで異議を唱えません。中央と地方に上下関係などない。住民の幸せのために議論し、時には国と戦う。そんな関係こそ求められると思うのです。
やまなか・みつしげ
三重県松阪市生まれ。慶応大法学部卒、群馬大医学部卒。NPO法人「少年ケニアの友」の医療担当専門員としてアフリカで活動。衆院議員秘書、三重県議などを経て09年2月、当時全国最年少で松阪市長に当選。2期目途中のことし9月末に辞職した。
(2015年10月28日朝刊掲載)