社説 安保法案参院委可決 民意無視の横暴に憤る
15年9月18日
何が起きているか分からないほど議場が大混乱する中の採決強行である。きのう参院の特別委員会で安全保障関連法案が可決され、最終局面の本会議に舞台を移した。このありさまで、「良識の府」といえるのか。
普通の法案ではない。憲法9条で禁じられてきた集団的自衛権の行使を限定的とはいえ容認し、平和国家の流れを変える。日米同盟の拡大と専守防衛を是としてきた自衛隊の変容にもつながる。まさに日本の将来を左右するものと言っていい。
審議が大詰めを迎えても国民の懸念が払拭(ふっしょく)されるどころか、今国会成立は見送るべきだという声が強まっていた。なのに会期末が迫る中、自民党と公明党が一部野党と組んで数の力で反対意見を押し切った。多くの民意を無視した巨大与党の横暴であり、憤りを禁じ得ない。
審議尽くされず
これでは衆院とは別の視点でチェックする参院の役割を果たしたとはお世辞にも言えまい。委員長職権で質疑を終結させ、無理やり採決した稚拙なやり方も理解し難い。一方で、あの手この手で採決を遅らせた野党側の戦術への批判もあろうが、いま問われるべきは国会混乱の責任ではない。審議が到底尽くされていないことである。
7月からの参院審議では法案の問題点や政府答弁のぶれが衆院以上に露呈し、速記を止める審議中断は100回を優に超えた。集団的自衛権の行使要件となる「存立危機事態」をどう認定し、自衛隊はどう武力を行使するか。肝心な点が曖昧だったことは決して見過ごせない。
丁寧に説明し、理解を深めていく。政府与党はそう強調してきたのではなかったか。姿勢を一変させて異論を封じたのはあまりに身勝手だ。「憲法違反」との本質的な指摘も最後まで顧みることがなかった。国会に熟議を求めつつ最初から結論ありきだったとすれば議会制民主主義をないがしろにする話だ。
不十分な歯止め
政府側からすれば政権に協力的な小規模な野党3党の賛成を取り付けて「強行」の色合いを薄めたつもりだろう。国会関与を一定に強化する付帯決議などの条件をのんだ。ただ中身をよく見ると、歯止めとして心もとない。緊急時に例外を認めるなど骨抜きの恐れがあるからだ。これで野党の声を取り入れたと胸を張ってもらっては困る。
もし新たな歯止めが必要と本当に考えるのなら、付帯決議でお茶を濁すのではなく法案を撤回して出し直すのが筋だ。これほどの重要法案で生煮えのまま採決に踏み切ったことに、政治の劣化を感じざるを得ない。
法案成立を当然視し、準備に前のめりの防衛省・自衛隊の勇み足も繰り返し指摘された。いざというときにシビリアンコントロールで大きな役割を果たすべき国会が時の政権の暴走に本当に待ったをかけられるのか。疑わしく思えてくる。
1992年にできた国連平和維持活動(PKO)協力法を思い出す。あの折も自民党政権が強引に成立させた。国民に根強い反対があったが、自衛隊の海外派遣の常態化とともにPKO参加自体への異論は目立たなくなったのは確かだ。首相が「成立させれば国民の理解は得られる」と高をくくるのも、こうした経緯があるからだろう。
ただ曲がりなりにも平和憲法の順守を大前提としていたかつての議論と、憲法解釈そのものを政治の力で変えてしまった現在とは状況が根本的に違う。
なし崩しの恐れ
PKO法にしても今回の改正案で武器使用基準を緩和し、場合によっては他国軍の「駆け付け警護」を認めるなど自衛隊の活動内容が大きく見直される。リスクも当然増えることになろう。この事態を23年前に国民はどこまで予想していたか。
いったん法律ができてしまえば将来、なし崩し的に活動が拡大していく可能性があろう。だからこそ、十分な歯止めのない法整備は禍根を残す。政府与党は、あらためて法案の中身を見詰め直すべきではないか。「平和の党」を標榜(ひょうぼう)してきた公明党はなおさらである。
(2015年9月18日朝刊掲載)
普通の法案ではない。憲法9条で禁じられてきた集団的自衛権の行使を限定的とはいえ容認し、平和国家の流れを変える。日米同盟の拡大と専守防衛を是としてきた自衛隊の変容にもつながる。まさに日本の将来を左右するものと言っていい。
審議が大詰めを迎えても国民の懸念が払拭(ふっしょく)されるどころか、今国会成立は見送るべきだという声が強まっていた。なのに会期末が迫る中、自民党と公明党が一部野党と組んで数の力で反対意見を押し切った。多くの民意を無視した巨大与党の横暴であり、憤りを禁じ得ない。
審議尽くされず
これでは衆院とは別の視点でチェックする参院の役割を果たしたとはお世辞にも言えまい。委員長職権で質疑を終結させ、無理やり採決した稚拙なやり方も理解し難い。一方で、あの手この手で採決を遅らせた野党側の戦術への批判もあろうが、いま問われるべきは国会混乱の責任ではない。審議が到底尽くされていないことである。
7月からの参院審議では法案の問題点や政府答弁のぶれが衆院以上に露呈し、速記を止める審議中断は100回を優に超えた。集団的自衛権の行使要件となる「存立危機事態」をどう認定し、自衛隊はどう武力を行使するか。肝心な点が曖昧だったことは決して見過ごせない。
丁寧に説明し、理解を深めていく。政府与党はそう強調してきたのではなかったか。姿勢を一変させて異論を封じたのはあまりに身勝手だ。「憲法違反」との本質的な指摘も最後まで顧みることがなかった。国会に熟議を求めつつ最初から結論ありきだったとすれば議会制民主主義をないがしろにする話だ。
不十分な歯止め
政府側からすれば政権に協力的な小規模な野党3党の賛成を取り付けて「強行」の色合いを薄めたつもりだろう。国会関与を一定に強化する付帯決議などの条件をのんだ。ただ中身をよく見ると、歯止めとして心もとない。緊急時に例外を認めるなど骨抜きの恐れがあるからだ。これで野党の声を取り入れたと胸を張ってもらっては困る。
もし新たな歯止めが必要と本当に考えるのなら、付帯決議でお茶を濁すのではなく法案を撤回して出し直すのが筋だ。これほどの重要法案で生煮えのまま採決に踏み切ったことに、政治の劣化を感じざるを得ない。
法案成立を当然視し、準備に前のめりの防衛省・自衛隊の勇み足も繰り返し指摘された。いざというときにシビリアンコントロールで大きな役割を果たすべき国会が時の政権の暴走に本当に待ったをかけられるのか。疑わしく思えてくる。
1992年にできた国連平和維持活動(PKO)協力法を思い出す。あの折も自民党政権が強引に成立させた。国民に根強い反対があったが、自衛隊の海外派遣の常態化とともにPKO参加自体への異論は目立たなくなったのは確かだ。首相が「成立させれば国民の理解は得られる」と高をくくるのも、こうした経緯があるからだろう。
ただ曲がりなりにも平和憲法の順守を大前提としていたかつての議論と、憲法解釈そのものを政治の力で変えてしまった現在とは状況が根本的に違う。
なし崩しの恐れ
PKO法にしても今回の改正案で武器使用基準を緩和し、場合によっては他国軍の「駆け付け警護」を認めるなど自衛隊の活動内容が大きく見直される。リスクも当然増えることになろう。この事態を23年前に国民はどこまで予想していたか。
いったん法律ができてしまえば将来、なし崩し的に活動が拡大していく可能性があろう。だからこそ、十分な歯止めのない法整備は禍根を残す。政府与党は、あらためて法案の中身を見詰め直すべきではないか。「平和の党」を標榜(ひょうぼう)してきた公明党はなおさらである。
(2015年9月18日朝刊掲載)