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連載・特集

原爆の影 物語に反映 60年前広島で生活 米のフツイさん紙芝居 本に復刻 被爆地と心通わせた証し

 原爆の傷痕もあらわな1950年代半ばの広島で、7歳の米国人少女によって作られた一冊の紙芝居が今夏、本に復刻された。現在、米ロサンゼルスに住むファリダ・フツイさん(68)作の「炭のかんちゃん」。広島弁の交じる日本語で書かれた物語は、子どもの心に刻まれた原爆の影とともに、被爆地の人と結んだ絆も映す。(道面雅量)

 「被爆から10年とたっていない時期に、広島の人は私を温かく受け入れてくれた。私も広島の人を理解しようとした」。出版を機に広島を訪れたフツイさんは振り返る。「この紙芝居はその証し。人間は敵意を乗り越え、心を通わせられる」。被爆70年の節目に出せたことを喜ぶ。

 家族で広島市に移り住んだのは52年末。米国務省が今の中区に開設した広島アメリカ文化センターの初代館長に、父の故アボル・フツイさんが就任したためだ。センターは図書室を備え、映画や講演などを通じて米国の広報を担った(71年閉館)。一人娘のフツイさんは両親の意向で、当時の広島大付属東千田小に入学した。

 「あなたも小さな外交官だから―。そんな親の期待があった」。習慣の違いに戸惑いながら、必死に日本語を覚えた。紙芝居を作ったのは54年、2年生の時だ。

カシの母子 炭に

 物語の主人公は、カシの木の「かんちゃん」。母さんの木と並んで立ち、人間の子どもと遊んでいたが、ある日、炭の材料として母子ともに切り倒される。「『バッカやーろーっ』とえいごのアクセントで」抵抗を試みるも、炭に焼かれ、売られていく。火鉢の中で周りの炭が白くなっていく中、母に「わたしくずれそう」と抱き付くが…。

 フツイさんが昨年、ロサンゼルスの自宅に母が保管していた資料の中から、60年ぶりに見つけた。「火に包まれるイメージは、明らかに原爆の印象を反映している。子どもながらに抱いた米国人としての罪の意識が書かせたのだろう」と話す。

 近所に住んでいた幼なじみで、今も親交する波田淳さん(68)=南区=は今回、紙芝居の存在を知り「ひたすら快活だった彼女の心中を、初めてのぞいた気がする」と話す。原爆で傷を負った母や姉とともに、幼いフツイさんと家族同然の付き合いをしていた。

 フツイさんは「波田家の人は、原爆について私に進んで語ろうとはしなかった。でも、子どもは敏感。語らない意味も感じ取っていたと思う」と振り返る。

福島事故に言及

 復刻本は、先に米国で出版した回想録と、新たに書き下ろしたエッセーも日英対訳で収録した。その中で、2011年の福島第1原発事故を知った時の衝撃について触れている。

 「対米感情の改善」という使命を帯びていた父は56年、広島へ巡回した「原子力平和利用博覧会」を成功させるために奔走した。54年の第五福竜丸事件で高まった反核運動が、反米運動にまで波及しないように制御する役回りでもあった。

 「それは結果的にフクシマを招き寄せる一因になったかもしれない」とフツイさん。エッセーには「1950年代の空気は、原子力の未来をあまりに楽観視していた」と記す。

 57年4月、フツイさんは父の異動で日本を離れた。ブラジルやナイジェリアにも家族で赴任したが、広島は「第二の故郷」と言い切る。広告代理店の社長として多忙な今も、同窓会などの機会を捉えて「帰郷」し、広島弁を操る。

 「ヒロシマは、原爆や放射能の恐ろしさとともに、人間の相互理解の可能性も教えてくれる。この本に込めた平和へのメッセージです」。復刻本はB5判、77ページ、1500円。ネット通販や、広島市内の一部書店で入手できる。

(2015年8月28日朝刊掲載)

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