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被爆の惨状 手記に刻む 光線が顔殴った/気付いたら家の下 三原市大和の計田さん 亡き夫残す

 70年前のあの日、広島で被爆し、1996年に69歳で亡くなった夫の手記が、三原市大和町の計田(はかた)芳子さん(84)の手元にある。被爆について話さなかった夫の死から数年後、遺品の整理をして見つけた。毎年、8月6日が近づくと、書棚から黄ばんだ原稿用紙を取り出し、読み返す。

 夫の千秋さんは大和町出身。仕事の関係で広島市中区の住吉神社近くを歩いていて被爆した。18歳だった。

 「光線がバットのように顔を殴った。気付いたら家の下敷きになっていた。お母さん、と声の限り叫ぶと、人声がして天井板をさげてくれた」。400字詰め原稿用紙2枚に千秋さんはこうつづり、やけどで腫れた足を引きずりながら市内をさまよった様子も記す。

 「死んでもよいから水がほしくなり水を探し求めた。南観音町の畑に力尽きた。すると、ものすごい夕立があった。黒い雨である」

 千秋さんは戦後、古里で農業をした。被爆体験は家族に話さず、亡くなる直前の96年夏、初めて孫に語った。手記はその際に書いたとみられる。

 「余命が短いと知り、悲惨な体験を伝えなければという思いに駆られたのでは」と芳子さん。「夫の思いを継ぎ、孫たち若い世代に語り継ぎたい」(山本庸平)

(2015年8月5日朝刊掲載)

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