愚かさ際立つ原色の戦場 フィリピン戦線描く「野火」塚本監督 尾道で大林監督と対談
15年7月23日
「過去のようで未来かも」「見てつらい映画がいい」
第2次世界大戦末期のフィリピン戦線を舞台に、死線をさまよう日本兵の姿を描く「野火」が、戦後70年に公開される。大岡昇平の戦争体験に基づく小説を映像化したのは塚本晋也監督(55)。近年、反戦作品を立て続けに発表している尾道市出身の大林宣彦監督(77)と今月中旬、同市のシネマ尾道で、戦争や平和をテーマに映画の在り方を語り合った。(余村泰樹)
「今こそ描かないといけないという切羽詰まった気持ちにならないと戦争映画は作っちゃいけない」。大林監督は製作する際の覚悟の必要性を説き、監督だけでなく主演や撮影、脚本、編集もこなして完成にこぎ着けた塚本監督の執念を評価した。
高校時代に原作と出合い、30代から映画化の道を探った塚本監督。体験者の高齢化が進む中、10年前にはフィリピンの日本兵の遺骨発掘作業にも参加し、証言に耳を傾けた。一方、製作資金集めは難航。3年前、「体の痛みで知る人が少なくなり、戦争に向かう動きがはっきりしてきた」と父親の遺産を使いながら自主製作で撮影を始めた。
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1959年に市川崑監督がモノクロ映画にした「野火」。塚本作品は、鮮やかな色彩で熱帯の真っ赤な花や濃緑の草木、澄んだ青空などを切り取り、餓死寸前で極限状態に陥った日本兵の姿を際立たせる。塚本監督は「素晴らしい大自然の中、泥だらけの人間がぼろぼろになって愚かしい行為をしている。原作で戦場にいるような衝撃を感じ、くっきりと浮かんだコントラストを描きたかった」と振り返る。
その色彩を大林監督は評価する。「これまでの戦争映画はモノクロームかカラーでも抑え気味だった。塚本監督の見事な原色はリアリティーがあり、観客が映画の中に入り込む。ようやく本当の戦争映画ができたと言ってもいい」と語った。塚本監督は「暗雲が立ち込め弾が飛んでくるのでなく、青空のまま人々は亡くなったと思う」と想像し「過去でなく、今目の前で行われている感じ」をカラーに込めたという。
戦争映画で注意すべき点として、大林監督は「カタルシスを持たせない」ことを挙げた。「あーかわいそうとか、同情して見るとおかしくなる。カタルシスを持たせることは犯罪に近い。お国のために死のうと思ってしまう」と指摘。近年、そんな傾向の日本映画が増えていると危惧し「見てつらいということで、戦争映画はようやく許される」と力を込めた。
塚本監督は、目を覆いたくなるようなシーンもひるまず描いた。「戦場を体感し、この嫌な感じは何だろうと考えてほしかった」。敵の銃撃に手足はちぎれ、内蔵が飛び出す。そんな死体を踏みつけて逃げ惑う兵士たち。倒れた体にはウジが湧く。平凡な人間が簡単に人を殺していく。「カタルシスとヒロイズムで戦争を描くのが一番嫌。米国映画には今でも、敵を決め、自分は正しく相手は人間じゃないというような作品がある。そんな考えが戦争につながる」と強調した。
大林監督は、2011年に「この空の花―長岡花火物語」、14年に「野のなななのか」で日本の戦後史を描いた。「過去の戦争経験者が、もう次の戦争は起こさないという決意」を込めたという。そんな思いを引き継ぐ塚本作品に「戦争を体験し直すことで、未来に警鐘を鳴らした。伝える役割をつないでくれた」と喜んだ。
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現在、塚本監督は、自ら全国を巡り、観客と対話をしながら作品を広めようとしている。野火で描いた世界について「過去のことのようだけど、これから行く可能性がある」とし「製作したのは、自分にも子どもができ、次の世代の人たちが恐ろしいことに向かうことが本能的に我慢できなくなったから。しっかりアンテナを立て、嫌な物は嫌だと言っていきたい」と呼び掛けた。
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「野火」は25日から全国で順次公開される。
(2015年7月23日朝刊掲載)