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社説・コラム

『論』 政策決定と市民 多様な声 交える仕組みを

■論説委員・東海右佐衛門直柄

 レンブラントの「夜警」や、ゴッホの「自画像」…。世紀の傑作を展示するアムステルダム国立美術館を今春、訪れた。取材の合間で小一時間の鑑賞だったが、オランダが育んだ圧倒的なスケールの芸術を前に立ちすくんだ。

 もう一つ、ずしりと心に響いたことがある。

 130年の歴史を持つこの美術館は近年、改修計画をめぐって国民的議論が沸き上がり、10年もの間、閉館を余儀なくされていたというのだ。再オープンしたのは2年前。貴重な作品群がこれだけ長期に国民の目に触れられなかったのは多大なる損失であろう。なぜこんなにかかったのか。

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 原因を聞いて驚いた。発端は、建物中央を貫く「自転車用通路」の議論だったという。

 美術館側は当初、昔からある通路を狭め、地下に新たな出入り口を設けようとしていた。ところが自転車好きの市民から「通りにくくなる」と反発の声が噴出した。デモまで起き、完成予定の2008年を過ぎても工事は遅れに遅れる。それでも美術館や行政、市民らは時間をかけて意見をぶつけ合い、計画を何度も練り直した。

 意見の異なる関係者が議論を深め、合意点を探り、プロセスを公にする―。その仕組みには感心させられた。その様子はドキュメンタリー映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」にも記録されている。民主主義の在り方について広く問うているように感じた。

 日本で同じようなことが起きた場合にはどうなるだろう。

 行政はどこまで市民の声に耳を傾けているのか。そう感じる場面が最近増えている。原発政策も、その一つではなかろうか。

 30年度の電源構成について経済産業省が原発比率を20~22%とする方針を示した。これでは福島の原発事故前とそう大きく変わらない。しかも40年を超えた老朽原発の運転延長も想定する。多くの国民の脱原発の声について、無視を決め込むかのようだ。

 疑問に思うのは、これらの政策決定に至るプロセスである。

 原発比率を決めた経産省の委員会のメンバーは科学者や大学教授、財界人たち。原子力規制委員会も科学者でつくる。「選ばれた専門家のお墨付きを得られればいい」。国はそんな考えで政策を進めているようにも感じる。

 しかし福島の事故は専門家に安全を委ねる中で起きた。深刻な放射能汚染が起き、住民の暮らしと人生に打撃を与えている。市民の不安をエネルギー政策に反映してこなかったことが国民の原発不信を招いた一因ではなかったか。

 電源構成比については、きのうでパブリックコメントを締め切り、近く見込まれる正式決定への最終手続きを終えたとしている。せっかく寄せられた批判の声が、反映されそうな雰囲気はない。

 そもそも日本ではパブリックコメントや公聴会が形骸化しているのは否めない。行政の筋書きで議論を進め、結論ありきで意見を聴取するなら意味はそうあるまい。

 かつての民主党政権下では、将来のエネルギー政策について国民から直接意見を聞き取る「意見聴取会」や「討論型世論調査」が全国で開かれ、数千人の一般市民が参加した。政権交代でその議論は白紙同然となったが、市民の多様な声を議論の段階から生かす試みこそ、大切ではないだろうか。

 仮に原発を推進する立場であったとしても、国民の声を盛り込むことは重要なはずだ。原発技術はいまだ途上にあり、「これで安全」というゴールはない。より多くの見解と視点を受け入れることで規制は強化され、安全性は高まる。その点を忘れてはならない。

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 オランダから帰国後、あの記録映画を広島市内で見た。終盤のシーンは印象的だ。市民の声がおおむね取り入れられ、新しい地下入り口は造られなかった。人々は通路を自転車で通っていく。市民、そして美術館スタッフの満足そうな顔がクローズアップされる。

 日本では将来、原発回帰が進む可能性もある。私たちの表情はどうなっているだろう。「みんなの原発政策」と胸を張っていえるだろうか。市民から乖離(かいり)した政策議論は本来ありえない。

(2015年7月2日朝刊掲載)

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