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[いくさの記憶] 恐怖・貧しさ体験語る 呉の朝倉さん 母校の本通小児童に

 「呉戦災を記録する会」の代表朝倉邦夫さん(78)=呉市宮原=が25日、母校本通小(同市寺本町)で戦時中の様子を語った。

 朝倉さんは1945年当時、本通国民学校(現本通小)の3年生だった。防空頭巾をかぶって学校に通っていたことや、爆撃が激しくなるのが予想されたため三原市の寺に集団疎開したことを語った。

 「菓子もないので、スギの葉をガムの代わりにかんでいた」と耐乏生活にも触れた。

 最も被害が大きかった同年7月1日夜から2日未明にかけての呉空襲は体験していないが、「約2千人が亡くなった」と資料などを手に話した。

 朝倉さんは10年ほど前に母校からの依頼を受け、毎年出向いている。今回は6年生32人が話に耳を傾けた。井原大輔君(11)は「空襲があったのは知っていたが、こんなにたくさんの人が亡くなったんですね」と驚いていた。

 朝倉さんは「体験を語りたい高齢者はたくさんいる。学校などが場所を設けてほしい」と訴えている。(小笠原芳)

(2015年6月26日朝刊掲載)

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