平和のため 被爆語らねば 広島市佐伯区・倉本さん 読み聞かせ授業に参加
15年5月1日
広島市佐伯区の被爆者倉本洋子さん(85)が30日、同区の五月が丘小で被爆体験の読み聞かせ授業に参加した。これまで積極的に被爆体験を語ってこなかったが、集団的自衛権の行使容認や憲法改正の動きを知るにつれて平和への危機感が増幅。「命ある限り伝えなければ」と、病気を押して学校を訪れ、平和の大切さを児童に訴えた。(河合佑樹)
6年生55人に、倉本さんが1994年に書いた手記をボランティアが朗読。知人の顔がやけどで判別できず、川が遺体で埋まったようになった惨状などを読み上げた。児童が「一番悲しかったことは?」と質問。倉本さんが「友人を亡くしたこと」などと答えた。
倉本さんは45年春、大阪府から家族6人で広島市に疎開。8月6日は、爆心地から約800メートル離れた学徒動員先の広島城(現中区)付近の防空壕(ごう)内で被爆した。家族への差別などを懸念して積極的に体験を語らず、大阪府の小学校の依頼で手記を書いた程度だった。
だが、安倍政権が昨年7月に集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈を閣議決定。憲法改正への動きも報じられ、不安が増した。昨春にはパーキンソン病と診断されていた。ことし4月上旬に同小から依頼があり、「体験を伝えなくては」との思いで引き受けた。
授業の最後に倉本さんは「大人になっても戦争だけはいけないと覚えていて」と訴えた。竹村愛華(まなか)さん(11)は「今日聞いたことを忘れないようにしたい」と話していた。
(2015年5月1日朝刊掲載)
6年生55人に、倉本さんが1994年に書いた手記をボランティアが朗読。知人の顔がやけどで判別できず、川が遺体で埋まったようになった惨状などを読み上げた。児童が「一番悲しかったことは?」と質問。倉本さんが「友人を亡くしたこと」などと答えた。
倉本さんは45年春、大阪府から家族6人で広島市に疎開。8月6日は、爆心地から約800メートル離れた学徒動員先の広島城(現中区)付近の防空壕(ごう)内で被爆した。家族への差別などを懸念して積極的に体験を語らず、大阪府の小学校の依頼で手記を書いた程度だった。
だが、安倍政権が昨年7月に集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈を閣議決定。憲法改正への動きも報じられ、不安が増した。昨春にはパーキンソン病と診断されていた。ことし4月上旬に同小から依頼があり、「体験を伝えなくては」との思いで引き受けた。
授業の最後に倉本さんは「大人になっても戦争だけはいけないと覚えていて」と訴えた。竹村愛華(まなか)さん(11)は「今日聞いたことを忘れないようにしたい」と話していた。
(2015年5月1日朝刊掲載)