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社説・コラム

社説 戦後70年 歴史認識 謙虚に向き合う姿勢を

 あの戦争が終わって70年を迎える。だが中国や韓国との関係は、かつてないほど冷え切っている。

 安倍晋三首相はこの夏、戦後70年の談話を発表する。

 アジア諸国で2千万人を超すともいわれる犠牲者を出したことを、節目の年にどう総括するのか。日本の姿勢に世界から注目が集まっていよう。

 隣国との関係改善が進まない現状をいつまでも放置していいはずはない。新たな一歩を踏み出す環境づくりにつなげたい。

戦後処理に賛否

 70年を経ても、歴史認識の摩擦が続く背景には、戦後処理の複雑さがあるのかもしれない。

 日本は、極東国際軍事裁判(東京裁判)によってその戦争責任が裁かれた。「平和に対する罪」「人道に対する罪」でA級戦犯28人が起訴されている。一定にけじめをつけたことは確かである。

 一方、対外的な戦後補償はどうだったろう。日本政府は、サンフランシスコ講和条約や2国間協定を通じ、国家賠償を柱に決着した、とのスタンスだ。

 ただ、各国は冷戦体制の下、日本への法的責任を十分に問えなかった、との指摘もある。

 とりわけ韓国との戦後処理は、後を引いている。戦時下では日本が併合していたため、「実質的に日本の一部」とみなされ、サンフランシスコ講和条約では正規の戦争賠償権が与えられなかった。後に日韓基本条約が結ばれ、補償金が支払われている。両国間の財産・請求権問題は、経済協力と引き換えとして政治的に「解決」された格好である。

 日本の過去への不満が一気に噴き出してきたのは、1990年代に入り、韓国の政治が民主化したことも影響していよう。日本にとっては「なぜ今」との受け止めもあるが、韓国民からすれば軍事独裁政権の下で抑圧されていた異議申し立てが、戦後数十年を経て「ようやく」行えるようになったとの認識なのであろう。

 もちろん日本も、歴史問題に対して手をこまねいていたわけではない。93年、細川護煕首相が所信表明演説で、侵略行為について反省とおわびを表明した。

村山談話の意義

 95年、村山政権下で元従軍慰安婦に対する償いのための基金が設立された。戦後こぼれ落ちてきた問題に、政治が向き合おうとした意味は大きい。

 さらに象徴的なのは、戦後50年に発表された「村山談話」であろう。「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって多くの国々の人々に多大の損害と苦痛を与えました」

 隣国とのわだかまりをなくしたい―。行間から伝わるその思いが、いったんは日本への厳しいまなざしを変える契機となったことを、私たちは忘れてはなるまい。

独に学ぶ視点は

 安倍首相の70年談話が注目されているのは、どこまで村山談話の精神を引き継ぐのか、現時点ではなお不透明なためでもあろう。

 年頭会見で、首相は村山談話を「全体として引き継ぐ」と表明した。とはいえ「侵略」の表現を継承するのか、戦争責任をどこまで明確にするのかは識者による今後の協議に委ねられた格好である。

 首相はかつて「侵略の定義は国際的に定まっていない」と述べたこともある。従軍慰安婦の強制性や、南京大虐殺の被害者数など、関係国と日本との間で見解が異なる部分も多い。

 この際、各国で史実と向き合い、有識者を交えて共通認識を深めることも大切ではないか。

 ドイツは戦後、ナチス時代の否定と、戦争犯罪人の追及、歴史教育の徹底、強制労働についての個人補償などを進めた。

 歴史に正面から向き合うその姿勢に学ぶ点は少なくない。そうして隣国との和解を果たしてこそ、未来志向が生まれる。

(2015年1月10日朝刊掲載)

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